患者かもしれない第2心 読書録1冊目 精神療法の基本 支持から認知行動療法まで
その心の奥を掴んで揺さぶるものは何?
考えているだけで日が暮れる
苦しくて切なくて楽しくて日が暮れる
GO!GO!7188「神様のヒマ潰し」より
さて、ゴールデンウィークですね。毎年勉強しようと思って果たせませんが、今年こそはなんとかやります。(やりたい。)
さて、前回の記事患者かもしれない(仮)第初心 - 木曜レジオでも体系的な学びが、という話をしていましたが、ある程度の本を通読すると言うことが僕には必要だと考えています。事実として読む必要もありますし、読むための体力・胆力、吸収するための訓練が必要です。僕は要領が良い人間ではないので、千本ノックじゃないですけど、取り敢えず数読んで慣れてくのも必要なのかなーと思ってます。とは言え、がむしゃらに読むのもアレなんで、なんらかのルールを設定したいと考えています。そのうちの一つとして、このブログで簡単にアウトプットしようかと思ってます。
読書のルール
アウトプットのルールとして、以下の項目を最低限書き出すことにします。
書名、著作者、Amazonなどに掲載されている概略、目次、(書いてあれば)対象としている読者、僕がなんのために読んだか、感想、今後どう言う時に使えると思われるか。
そんなわけで景気付けに4月初めからチマチマと読んでいた本を読み終わったので紹介したいと思います。紹介というか読書感想文というか。
精神療法の基本 支持から認知行動療法まで
堀越勝 野村俊明 著
概略
以下Amazonから引用
臨床医が外来患者を診療する際に役に立つ精神療法の理論やテクニックについてまとめた解説書。精神療法の位置づけといった基礎的な内容から、患者とのラポートづくりや効果的な面接の技法といった実際の治療でのポイント、臨床でみかける機会の多い疾患の特徴と介入方法まで、米国での長い臨床経験をもつスペシャリストが網羅的に解説。限られた時間でより有効な診療を行う手助けとなるであろう1冊。
目次
第1章 精神療法とは何か?
- はじめに
- 簡易な精神療法を実施する意義
- 精神療法化の方法と手順
- 簡易精神療法の介入ステップ
- 簡易精神療法の効果
- ステップ1:患者との関係づくり
- ステップ2:「どうされましたか?」患者の問題に気づく
- ステップ3:患者に問題を気づかせる
- ステップ4:介入作業を実施する
- ステップ5:モニター
- ステップ6:再発予防と終結
第2章 対談:精神療法の疾患別アプローチ
- 1.精神療法を行うにあたっておさえておくべきポイント
- 2.気分障害へのアプローチ
- 3.パニック障害,強迫性障害,恐怖症へのアプローチ
- 4.PTSD,心身症,失感情症へのアプローチ
- 5.日本の精神療法を向上させるために
第3章 精神科外来における精神療法
対象読者
僕の読み落としかもしれないが、はっきりと明記はされていない。たが本書の目的の一つは「精神科診療を精神療法化する」とのことであり、精神療法に関わる心理士と精神科医を対象としたものであると思われる。特にレジデントに向けて書かれたわけではなさそうだが非常にわかりやすい文章であった。
読んだ目的
僕は研修医時代、動機付け面接(MI)についての教授を受け、何度か対面での練習も行っていました。勿論それだけで、臨床の現場で使えるようになったなどとは思ってませんし(ある種の方位磁石にはしています)、精神療法に関してはまともに本を読んだこともなく、かと言ってあんまりにも分厚く硬い本は読めない(読みたくない)。と言うことで本屋をぶらついた時にこの本を見つけたのだ。何より目次の1章にあるように、患者との関係づくりレベルのことから解説があるのが琴線に触れた。
感想
内容のまとめなんかしても、劣化版の誤った内容になるだろうし、何を書けばいいんですかね。
なので感想です。本書の著者は本文でも触れられるようにアメリカでかなりの修行を積んできた人で、日本の現場との比較が何度も行われます。裏返せば、現在の日本の精神療法の実践・教育体制に限界を感じているのでしょう。
この本の素晴らしいところは、患者とのコミュニケーションのごく基礎的なところからきっちり解説してくれているところです。それこそ「挨拶」の持つ意味から。
これを読んで以降、僕は自己紹介をきちんと意識的に行うようになりました。「DSM-5の手引き」の冒頭の面接の仕方、みたいな部分にも冒頭での自己紹介が盛り込まれていますし、当たり前に重要なことですが、うっかり見過ごしかねないことなのかもですね。
本書でも衝撃的だったのは、(短期での評価とは言え)精神療法を行うにおいて、四大治療要素の効果に占める割合のはなしです。本文p15参照。
四大治療的要素として、患者要因と治療外の出来事、関係要素、期待・プラセボ効果、治療テクニックと介入モデル要素の四つがあります。この内、どの介入モデルを用いるかと言う四つ目の要素(治療テクニックと介入モデル要素)は治療効果の内の15%を占めるのみです。コレが必ずしも小さいわけではありませんが、セラピストとの関係性(関係要素)、例えば共感、温かさ、受け入れること、などが治療効果に占める割合は30%なのです。本文の言葉に倣えば「かなり極端な言い方をすれば、テクニックと介入モデルの要素が充分でないとしても、関係構築が充分であればそれなりの効果を生むことが可能となるはず」なのだ。いかに患者との関係構築が重要であるかと言うことを僕は思い知りました。
それ以降の内容も各疾患に対して精神療法を行う際に気をつけるべきことなどかなり実践的な内容が含まれていました。
僕にとって想定される本書の内容を使う場面
まだ僕が精神療法を患者に行う場面はしばらくこないでしょう。訓練なしに行われる精神療法はあまりに侵襲的で危険なものだと思います。ただ、それ以前の介入への下地作りとしての患者との関係作りは投薬治療や日常の診療においていつでもどこでも重要になるものだと考えています。なので、患者との関係づくりを本書の内容を道標に大切にしていきたいと思います。
患者かもしれない(仮)第初心
ここに今ぼくがいないこと誰も知らなくて
そっと教えてあげたくて君を待っている
たま『電車かもしれない』より
久しぶりのブログです。四月も半ばを過ぎました。
専攻医になりました、なってしまいました。お察しの方もおられるかもしれませんが、精神科医になりました。
精神科専攻医になって
今のところ後悔はないです。とても楽しく、緊張感も持ちつつ目まぐるしく日々が過ぎていきます。
僕は初期研修を精神科病棟のない総合病院で終了しました。何人かの精神科の先生のお世話になりましたが、特にM先生のお世話になり、以下の内容の多くの部分がM先生の受け売りだと思ってください。とはいえ、僕の誤解や記憶違いもあるのでそこはM先生に関係なく、僕自身の誤りであり、精神科医1年目のペーペーが偉そうにネットで書き込んでいるだけの内容であることをご容赦ください。
閑話休題。おそらく精神科医としては精神科の病棟をあまり見ずになる人間は少数派なのではないでしょうか。そんなこともないのかな。少なくとも現時点の同期にはこのような人間はいません。地域研修で単科の精神科研修は行いましたが、それだけではやはり限界があったようにも思います。
なぜこんなブログで自分語りみたいなのを始めたかというと、どこかに僕の「初心」を残しておきたいと思ったからです。そしてできれば今後の学びや経験も。
精神科という仕事について僕はまだ多くを知りません。ですが、僕の直観としても、初期研修でお世話になった先生が言っていたこと一致していたことが一つあります。
「精神科医は自分の立ち位置を客観的に評価することが難しい」
自分の治療が適切なのか、それとも思い込みだけで突き進んでいるのか。
最近は、内科における採血検査に該当するような、精神科疾患に関するバイオマーカーや客観的な検査も研究が進んでいるようですが、いまだ科学として発展途上でもあり、内科の採血検査がそうであるように解釈にも難しさがあるのだと思います。
そんな中で自分の精神科医としての出発点を記録しておくことは重要であると考えます。それに、精神科医として患者さんのことを書けない以上自分語りするしかないという事情もあります。
あとはまぁ、一応ネット上でのおまじないとして言っておきますが、僕が語る僕のことにはフェイクや欺瞞情報がそこそこ含まれていますのでよろしくお願いします。
では内容に入っていきましよう。
客観視 fly on the wall
さて、自分を客観視する、という話が出ました。精神科で客観視を行うことは難しいと言いつつも重要な事でもあります。そこで僕は師事する先生に相談しました。そこで受けたアドバイスが複数の軸で治療成績を評価する事でした。
軸としては3つ。「初期診断とその後の診断のズレ」「ドロップアウト率」「GAFスコア」を現時点では考えています。
診断について。
M先生曰く「知能が高いものが正しい診断に至るわけではない。間違うスピードが速くなるだけだ。より精密にそして論理的に間違う。所謂『難治性』と呼ばれるものの中にはそもそもの診断が誤っているものも多い。治療がうまくいかないときには常に『診断が誤っている可能性を考慮せねばならない』」。
患者を直したければまずは正しく診断する事。当たり前ですけど見過ごしがちなことかもしれません。治療法を知れば知るほどいろいろ試したくなるのでしょうけども、try and errorを繰り返す前に立ち止まり、もう一度最初に立ち返ること。いつでも問い直す準備をしておくこと。それを心がけようと思う。
ドロップアウト率について。
入院よりは外来業務の話にはなるのでしょうけども、精神科で治療継続が困難になる原因の一つとしてはドロップアウトがあると思います。ネットでは患者側の問題として語られることが多い気がしますが、我々が精神に向き合うプロである以上、ドロップアウト率を下げることは努力すべきことであると考えます。そのための技法も身に着けるべきであると思います。
GAFスコアについて。
これはまだ僕自身正解が見えないのですが、患者の治療効果判定に使える汎用性の高い客観的な指標がないものかと考えています。その一つとしてGAFスコアはある程度使えないものかと考えています。ただ、このスコアの再現性や、有用性に関してまだ何も知らないのであらためて学びたいと思います。また、より有用なものがあればそれを取り入れたいと考えています。
これらの軸を通して得られた自分の治療成績と一般的な治療成績・予後を比較して自身のできていることできていないことを評価していきたいです。
動機付け面接について。
M先生は動機付け面接についてとてもよく教えてくれました。「一般的な精神医学の知識は正直座学でも身に着けることができるけれども、こればかりは訓練しかない」ということで、面接の技術に関しては、平均よりも指導を受けたのではないかと思います。まぁ僕の元々のコミュニケーションスキルの低さを思えば、プラスマイナス若干プラスくらいなのかもしれませんが。
ただ、患者さんとのコミュニケーションを理論立てて学んだことで、患者さんとのコミュニケーションそのものでどうしたらいいかわからなくなってしまうことはほとんどないような気がします。もちろん経験も浅く、これから困ることは山ほど出てくるでしょうけども。OARSなども含め、とても役立っています。理論に基づく戦略立った会話というものはとても刺激的で、再現性もあるので次回へのフィードバックを行いやすいのも良いですね。なので今後もMIの勉強会があれば積極的に参加したいと考えています。M先生には一緒に勉強する仲間を見つけなさい、と言われましたが、まだ同期になじめていない気がします。だれか仲良くして~!!!!
論文に関して。
論文を読まなきゃというのはわかっているんですがどうにも苦手で逃げています。英語も嫌いだし。最近はDEEPLなどの有用な翻訳サービスもありますしガンガンハードルは下がっているのだと思います。であればやはり読むべきでしょう。論文よんでるカッコいい自分を想像して頑張ろうかな。バカなので論文読んでるだけでカッコいいと思ってしまいます。
論文に関してですけどもEBMについても僕は今雰囲気でしか知らないので統計に関しても余裕が出てきたら学びたいです。(精神科の知識も抜けているのにそんな余裕出てくるのか?)
論文をまとめるアプリ的なのもあるらしいですし、デジタルに適応しながら頑張っていきたいと思います。
勉強について。
思っていたより忙しく、勉強の時間をとれていません。これに関してはおそらく僕の時間の使い方がへたくそなのと逃げている部分が多いと思います。僕は初期研修中は精神科の座学よりもどちらかと言えば面接スキルの訓練を重点的に行っていたこともあり、体系的な知識にかなりの抜けがあります。なのでここは是非とも補わなければいけないところ。何とかコンスタントに学んでいきたいと思います。できればこの場で簡単なアウトプットもできたら、と思っています。
結び。
ひとまず現時点で残しておきたい「初心」はこんなものです。また思い出した事、思いついたことがあれば追記しますが。まだまだ将来のことは見えていませんが精一杯頑張っていきたいと思います。
2022/04/27追記
タイトルを「心此処に非ず」から「患者かもしれない」に変えました。んーでもしっくりこないなー。あくまで(仮)なのは変わんない。心此処に非ずはカッコつけ過ぎててんー、って感じなんだよなー。
「患者かもしれない」は、ニュアンスとして「今日の私もあなたも、もしかしたらこれからの私とあなたが」というニュアンス、というのは後付けで「電車かもしれない」にかけたかっただけなんですよね。まぁいいや。また気が変わったら変えます。
好きこそモノの 7品目 旅行手帳 FLYING SPIRIT
久しぶりのこのシリーズ。
7品目は「旅行手帳」。
前回はこちら
structural-alien.hatenablog.com
旅行先でスタンプ押すやつとかあるじゃないですか。それをなんか一冊にまとめたくて探してたんですよね。
条件としては薄く嵩張らないこと、表紙が紙製でベタベタ貼れる感じであること、丈夫そうであること、でした。
そして見つけたのがコレ。
FLYING SPIRITという糸綴じ手帳。
高級感のある滑らかで硬めの厚紙表紙、無骨な糸綴じ、そして1000円以下と安い!
こんな感じに、スタンプというよりは、お店で貰えるおしゃれなカードや、個展でもらえる作家さんの名刺、映画や美術展のチケットなどを乱雑に貼ってます。
スタンプ押すタイミングに限ってこのノート忘れてたりするんですよねー。
背表紙が長めになってて、栞としても使えるところが最高最高!
おすすめアイテムです。
文体は荒波に揉まれ②
さて、前回の続きである。
前回はこちら。
structural-alien.hatenablog.com
前回に引き続き、「文体の舵を取れ」を読みつつその練習問題を実際に解いて?みる。
第二章は句読点についての話だった。英語と比べると日本語における句読点の重要性は若干下がる気もしたけれど、どうなんだろう。
以前、高校生の時に「日本語能力検定」というよくわからん試験があって、句読点を正しく配置する問題があったがそこそこ難しく感じた記憶はある。
練習問題②ジョゼ・サラマーゴのつもりで
一段落〜1ページで句読点のない語りを執筆すること。
その日ジョゼはいつもの朝がくるものだとおもっていただがそうはならなかった普段通り彼は幼稚園へ娘を送るために娘と共に車に乗り込んだいつも通りいつもの朝いつも通りの幸せな光景むにゃむにゃと目を擦る可愛い天使それは本当にちょっとしたことでほんの少しだけジョセが注意を怠っただけのことだったのだ信号機が何色だったか分からない交差点で彼は突然大いなる力を衝撃を感じ取ったまるで全てが左側に持っていかれるような力だ触覚も視覚も嗅覚も全ての感覚が衝撃に置き換えられてしまったその日アレハンドロにとってもいつも通りの朝のはずだっただがそうはならなかった彼はいつも通りに仕事の相棒のトラックを走らせていた随分長い付き合いになるなる相棒はそこそこにハードなアレハンドロに文句を言いつつも付き合ってきてくれたアレハンドロはいつも通りに運転していたはずだっただがしかしいきなり目の前に飛び出してきた一台の可愛らしいオレンジ色の車によって全てが台無しになった全てが終わった時アレハンドロはハンドルに顔を埋めていた何が起きたのか理解した理解はしていただが顔を上げることができなかったそれを確認することが何より恐ろしかった遠くから1人の父親の絶叫が聞こえてくるのをアレハンドロは夢うつつに聞こえる目覚ましの音のようだと思った
文体は荒波に揉まれ①
ル=グウィンの「文体の舵をとれ」を買った。
この作者が何者なのかもよく知らないし、完全に勘だけで買ったほんだ。
物語を描く人に向けた技巧の練習本のようだ。元が英語の本なので、例示されたりする美しいであろう英語の原文を直接読んで感じ取れないのは些かもどかしいが、普通に読んでいて楽しい。章ごとのテーマに沿った実例の開示の後に、それに基づく練習問題が出される形式の構成となっている。
せっかくなので練習問題をこのブログで練習していきたいと思う。
練習問題①文はうきうきと
問1 声に出して読むためのナラティブの文を書いてみよう。
その男、なんとかかんとか島に着いた時、日はざぶざぶと沈み始めていた。
なんともかんとも言えない顔で、砂か塩か分からぬザリザリで覆われて、恨めしそうに太陽に目を向けた。
男の相棒たる船は、すでに解けて海の藻屑。
ザクザク歩く砂の上、ジンジン痛む足すすめ、ズンズン沈む心を支えて、全然平気と嘘をつき、ゾンビの如き顔と動き。
ハァハァぜいぜいガクガクずきん。
焦る男と反対に、周りの景色はのどかなものだ。
チャプチャプざぶざぶサラサラとぷん。
やっと見つけた椰子の木の、下で男は座り込む。
ほっと一息、椰子の実一つ、頭をかち割り、バコッとひと逝き。
問2 動きのある出来事、もしくは強烈な感情を抱いてる人物を一人描写してみよう。
その瞬間、私の頭の中は熱した鉄の塊が突っ込まれたのと同じようになった。
湯気だち、はじけ、熱く震え、そして何より赤くなった。
普段なら、いつもであれば、電車での横入りなど気にもならないはずなのに、今日だけは違った。
憎い、目の前のこの男が憎い。
今日、この場所にバールがなかったのは幸いである。
お返しにこの男の頭にも鉄の塊が叩き込まれていたかもしれないからだ。
手が震え、息が震え、視界も震える。
決壊したのだ。
大雨の日、どこかのタイミングでダムが決壊するように、私の心は決壊したのだ。
決壊したダムから溢れ出る濁流は全てを下へ下へと押し流す。
今日は雨だった。何もうまくいかず朝からずっとずっとずっとだ、ずっとイラついている。
一つ一つは大したことはなかったのだが、それでも、もはや限界だ、この男が憎くて仕方がない。
この男の罪は軽い。だがしかし、今日私に雨が降り続いたように、雨は降る場所を選ばないし、いつだって不快は雨は予想外なものだ。降るとわかっていれば傘を持って家を出ればいいだけなのだから。
横入りされたせいで私が僅かに後ずさった時、背後の人物の靴を踏む感触がした。
その瞬間、私の体は後ろにいた男に突き飛ばされた。
雨に濡れた床のせいで踏ん張りが効かない。
チラッと見えたその男の目は赤く燃えたぎっていた。
どうして、私なのか、そんな疑問は雲間から鮮やかな青空が現れるように解消された。
その男の目には並々と怒りが湛えられ、すでに溢れ出していたのだ。私の体は怒の濁流に押し流される。
わかる、その怒りを理解したが、それ故にその理不尽、その小ささに私の怒りには再び火が灯る。
私は、前にいた男の肩を掴み、ホームへと滑り込んできた電車の方へと差し出した。
お先にどうぞ。
濁流が止まらない。
餅を食わなかった話
年が明けましたね。
僕は死ぬほど餅が嫌いで、一口食べればもうその日1日はテンションが下がるくらいに嫌いです。なぜそこまで嫌いかというと、多分期待値の高さがあるのだと思う。
身の回りに餅嫌いはいないし、みんな当たり前のように食べるし。めちゃ美味しそうな雰囲気出してくるじゃん。
置いてかれたような気持ちになってしまうのかもしれない。
去年はそんな気持ちで餅にトライして痛い目を見たのだ。
下記はその記事。
structural-alien.hatenablog.com
そんなことがあったのでもう食うまいと思っていたのだが、今日妻が餅を焼き始めたのでまたウズウズと餅に挑みたい気持ちになったのだ。
物欲しそうに妻の餅を見ていると、またどうせ無駄になるのだからやめておくように言われた。
いや、今度こそなんかいけそうな気がする。今年は雑煮じゃなくて焼いてみたらいけそうな気がする、と言ってみた。
どうやって食べるつもりなのか?と妻に問われた。
どうやって?餅とは焼けば食べれるものではないのか?と思ったがどうやら醤油や砂糖やら準備がいるらしい。
そのまま食うのは初心者にはまだ早いとのことであった。
餅とはなんと面倒臭いやつだ。
きな粉と黒蜜を用意して来年また挑むこととする。
人生をやり直すならいつ?
現在の職場の直属の上司はおそらく所謂「陽キャ」である。
そんな上司がいきなり「人生をやり直すならいつ?」という問いを提示した。
僕の脳内にはぐるぐると留年のことや進学の後悔そんなものが渦巻いて瞬時には答えられなかった。あまりに失敗が多くどこに手をつければいいのかわからない。
上司はというと、「学生時代」だという。
その理由は「楽しかったから」だそうだ。
根本からして僕のような人間とは考え方が違う。
もう一度人生をやり直す、というと僕は、僕のような人間は必死で少しでもマシなものにしようと無駄な人生の粗探しをしてしまう。
とはいえこれは無理からぬことで、僕もある意味前向きな意味で過去の粗探しをしてしまうのだ。
そもそも上司のような人間は「戻りたい過去」があるからこそ、「もう一度」同じ人生を経験したいと思うのだろうが、僕はそうではない。常に今が一番幸せなのだ。人生上り調子、逆に言えば過去はいつだって失敗と諦念に塗れ、たとえその時「幸せ」を感じた時間であろうが戻るのは億劫である。常に綱渡のようにコイントスを正解し続けているような人生の体感なのだ僕は。そんなコイントスをもう一度させられるなんて正直ゾッとしない。
だから常に「最高」な現在に比較して過去は反省の場所になるのだ。