僕たちは合理的であるがゆえに先延ばしする、という話 ー動学的非合理性を踏まえてー
さて今日は色んな記事シリーズごっちゃ混ぜで行こうと思う。
「意思決定理論入門」の読書日記でもあるし、「留年と意思決定理論」の並列怪論でもあるし、進捗報告でもある。
前回の並列怪論 女性医師とフェルマーの最終定理 - 木曜の医師国家詩篇
前回の読書日記 読書日記1冊目 オカルティズム 非理性のヨーロッパ その1 - 木曜の医師国家詩篇
そんなまとまりのない日記ですが暇ならどうぞ。
目次
先延ばし癖
国試に向けて頑張らねばと思いつつ、ついサボりグセが出てきてしまう。30分後に勉強始めよう。そしてそのまた30分後ににはあと30分だけ、そんなことを繰り返して無限に時間が溶けていく。
所謂「先延ばし癖」である。
僕の場合ひどい時はこの先延ばし癖で、13時開始の追試験当日の朝9時から勉強する羽目になったことがある。そして留年した。
どうにかしなければ割とまずい性質のものである。
僕自身の解釈モデルとしては、おそらく僕には診断がつかない程度の「ADHD」的な傾向があり、それによるもの、としている。とはいえこのままでは何も解決しない。診断自体は解決にはならないからだ。人によってはそれはただ単なる「怠惰」だというであろう。それも少なくとも僕に限れば間違いではないと思う。どちらにせよ現象に名前がついただけである。解決を求めるなら、さらに自分のままならなさに向き合わねばなるまい。
意思決定理論
今現在、大学図書館で以下の本を借りて読み進めている。留年による学費という無駄な出費を少しでも有意義にしようという悪あがきで借りてみた。
- 作者: イツァーク・ギルボア,川越敏司,佐々木俊一郎
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2012/06/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 3人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
予想してた以上にゴリゴリに統計学の本であった。
人間の意思決定という複雑なものを定式化していく様はとても難しいが興奮を伴う。一時期経済学にはまったのもこれと同じ美しさを感じたからだろう。
その例がプロスペクト理論である。
以下野村證券の用語集より引用
プロスペクト理論(ぷろすぺくとりろん)
分類:経済
プロスペクトとは英語のProspectのことであり、期待や予想、見込みなどのニュアンスを持つ。プロスペクト理論はリスクを伴う状況下での判断分析として、米カーネマン氏らが1979年に公表した論文のタイトル名。プロスペクト理論により、従来の投資効用理論では説明のつかない投資家の判断行動が現実に即した形で解明された。例えば、投資家は収益よりも損失の方に敏感に反応し、収益が出ている場合は損失回避的な利益確定に走りやすい。一方、損失が出ている場合はそれを取り戻そうとしてより大きなリスクを取るような投資判断を行いやすいとされる。
プロスペクト理論は行動ファイナンスや行動経済学と呼ばれる心理学の要素を応用した新たな経済学の分野を切り開いたとして、同氏は2002年のノーベル経済学賞を受賞している。
言葉で表すとなんかわかったようなわからんような感じになるが本書ではそこら変を胃もたれしない程度に数式やグラフで表現してくれているので読んでみてほしい。
動学的非整合性
さて、今回話題にしたいのは「動学的非整合性」である。
まずは貴方の「合理性」を試すこちらの問題を考えてほしい
意思決定論入門 p55より引用
あなたは次の2つを比較する
ⅰ.a. 今日1000円もらうb. 今日から1週間後に1200円もらう
一方,あなたは次の2つを比較する.
ⅱ. a. 今日から50週間後に1000円もらうb. 今日から51週間後に1200円もらう
ⅰの今日か1週間後かの問題で貴方はどちらを選んだだろうか?そのどちらでも理由をもって選んだのであればそれは貴方にとって「合理的」な選択である。問題はそこではない。
ⅰの問題とⅱの50週後の問題とで、どちらもaもしくはbを選んだかどうかが問題である。
ⅰの問題に対しては多くの人がaを選ぶという。対してⅱの問題においては多くの人が「50週以上後のことなら同じだし多くもらえる方もらうべきだろう」と考えbを選ぶのである。だがしかし、もしも50週間後にもう一度選択のチャンスがあれどうだろうか?「あれから50週間経ちましたが今日貰いますか?1週間後にしますか?」そう問われればⅰでaを選んだ人は再びaという選択肢に(50週間後の今日もらうことに)変更することになるだろう。一度下した決定を、このように翻してしまう。これが「動学的非整合性」であるらしい。
いつ勉強するのか
ここで冒頭の先延ばし癖の話に戻る。
なぜ今しないことを30分後の自分がおこなうと考えるのか。
「30分後勉強しますか?」という問いは、30分後の自分からすれば結局「今勉強しますか?」という問いに他ならないのである。
今しない人間は、30分後も当然しないのである。
勿論、大きく状況が変わるならするかもしれない。だがしかし、30分という時間が経過するだけであれば、たいして状況は変わらない。そうすると「今はしないけど30分後の自分はするはず」と考えることはある種の「動学的非整合性」なのではないか?
つまり一度下した判断に再現性があり、一貫性があるという意味で「先延ばしは合理的」なのである。
僕たちは合理的であるがゆえに延々と先延ばしをするのではないか?
つまり僕たちを救うのは「合理性ではない」。
そもそもの問題設定に誤りがあるのだ。狂った仮定の元にロジックを代入しても出力されるものは狂ったものにしかならない。
今勉強するかどうかが問題なのではない、勉強をするかしないか、それだけなのである。
そしてそうであるなら、(今度こそ合理的に考えれば)やるべきタイミングは「今」しかないのである。
いつだって今しかない。
この気づき程度で僕の怠惰がどうにかなるとは思わないが、解決の糸口になるのではないか、とそう思った。
少なくとも今まで頭の片隅にあった合理性やコスパなんか糞食らえという気持ちになった。
いいからやれ、それだけだ。