木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

読書日記1冊目 オカルティズム 非理性のヨーロッパ その1

さて、読書日記である
単なる書評にしても良いのだが僕の筆力ではそれもままならないのであくまで日記という形で進めて行くことにする。

3日前から読み進めているのはこちら。

オカルティズム 非理性のヨーロッパ (講談社選書メチエ)

オカルティズム 非理性のヨーロッパ (講談社選書メチエ)

以下amazonより引用

ヘルメス文書、グノーシスカバラー、タロット、黒ミサ、フリーメーソンやイリュミナティなどの秘密結社、そしてナチ・オカルティズムとユダヤ陰謀論……古代から現代まで、オカルトは人間の歴史と共にある。一方、「魔女狩り」の終焉とともに近代が始まり、その意味合いは大きく変貌する――。理性の時代を貫く非理性の系譜とは何か。世界観の変遷を闇の側からたどる、濃密なオカルティズム思想史!

【目次】
序章 毒薬事件――悪魔の時代の終焉と近代のパラドクス
第一章 オカルティズムとは何か
第二章 オカルティズム・エゾテリスムの伝統
第三章 イリュミニズムとルソー――近代オカルティズム前史
第四章 ユートピア思想と左派オカルティズム
第五章 エリファス・レヴィ――近代オカルティズムの祖
第六章 聖母マリア出現と右派オカルティズム
第七章 メスマーの「動物磁気」とその影響
第八章 心霊術の時代
第九章 科学の時代のオカルティズム――心霊術と心霊科学
第十章 禍々しくも妖しく――陰謀論を超えて
終章 神なき時代のオカルティズム


書店で見つけた瞬間

これを待ってたぜ!!!

と小躍りした。僕は元々妖怪だとか民俗学が好きで、哲学とかに触れ始めたのは最近のことで昔懐かしの場所に帰ってきた気がしてくる。

そういう意味で僕にとっての原点回帰として、読書日記の始めの一冊としてはそんなに悪くないのではないか。

そう思う。

閑話休題

本の説明に移ろう。

この本は、別にオカルト的な魔術や呪術の実在を否定肯定するものではなく、歴史の中でいかに継承され変化していったかを辿っていくものである。

序章 毒殺事件

本書の冒頭では、1672年のとある毒殺事件について触れられる。

この事件の背後には大量の魔術師やら何やらがいたが、彼らは魔術を使った罪ではなく、ただの殺人者や毒物を売買した者として国家に裁かれることとなる。

第1章 オカルティズムとはなにか

ここでは、オカルティズムの簡潔な歴史とそれがいかに定義されてきたか、そして本書で何が語られるかが描かれる。 ここで筆者はオカルティズムは古代からの不変の定数ではなく、認識論的断絶を伴ったものであったという立場を表明する。

また、オカルティズムにおけるコレスポンダンス照応の重要性についても触れられる。

第2章 オカルティズム エゾテリスムの伝統

ここで筆者は、フランセス・A・イエイツの「ルネサンスの復興した古代とは、ギリシアローマではなく、ヘレニズム期のものでありオカルティズムと魔術が浸透した古代末期の哲学宗教思想であった」という説を採用している。

そこからヘルメス選書と呼ばれる文献にまつわる物語が語られる。

ヘルメス選書、そしてその著者とされたヘルメス・トリスメギストスを軸としながらも同時代に存在した高等魔術と民間に流布していた呪術(魔女など)の対比、グノーシス派、カバラー、フリーメイソンと薔薇十字団についても触れられていく。
そして17世紀以降、魔女狩りルネッサンス魔術の終焉をもって、魔術や悪魔は夢の中の存在へと落ちてゆくのだ。

第3章 イリュミニズムとルソー

近代オカルティズム前史として、オカルティズムの一派〈イリュミニズム〉について語られる。
筆者が有名なパラケルススより重要視するのはヤコブベーメスウェーデンボルグという2人のイリュミニストである。

そしてイリュミニズムとは異なった論理でもって近代オカルティズムの淵源となったのがジャン・ジャック=ルソーであるとされる。
ルソーによって「神」はキリスト教としての歴史性を剥奪され、倫理的法則へと変わってしまった。それをもって人間のオカルティックな霊の自律進化=完成可能性を示したことで近代オカルティズムの教祖的な立場になったのだと語られる。

途中までの感想とこの本で得たいこと

と、ここまでが昨日まで読んだ内容の軽いまとめである。

話としては恐ろしく面白く、ルネサンスを魔術の復興とする再定義はとても興味深い。

我々は未来に生きるがゆえに「今に繋がるもの」に目が行きがちである。しかし実際にはそれほどまっすぐな道を人類は歩んできたわけではないのだ。とそう思った。
我々から見ればルネサンスは科学成立の過程の1つなのだが、当時の人たちにとっては魔術・錬金術の発展過程でもあったわけで。


そのような学びもありながらも、所々ややその断定は暴論ではないのか?と思わされるようなところもないではないが、僕はヨーロッパ史に明るくないので現時点ではそれを否定も肯定もすることはできない。

あまり丸呑みにせず、とは言えかなりの面白さをもって、今後も本書を読み進めていきたい。

この本を読む個人的目的としては、現代における似非科学や反ワクチンの様な人たちの思想の系譜をもしかしたら見れるかもしれないという望みがある。それが叶えられるか否かはまだわからないが楽しみにしておきたい。