木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

国試までの進捗 留年生だらけの勉強会 循環器編

前回の話し合いでそれぞれの担当分野を決めて、他の二人に軽く講義する、ということになり、今回はその実行となりました。

前回
国試への進捗 ドキッ!留年生だらけの勉強会 単位ポロリもあるよ の巻 - 木曜の医師国家詩篇

講義(笑)

僕は不整脈と循環器総論の担当だったので、心臓の解剖や心音についてと不整脈、特に頻脈の鑑別、そして不整脈薬についてのレクチャー(というほどのもんでもないけど)を行いました。
他の二人はそれぞれアイゼンメンジャーについて、や胸痛の鑑別に関しての話をしてくれました。

一見他の二人のために勉強してきたように見えますが、実際のところ自分のために纏めて、その定着のための手段としての講義なので最初から最後まで自分のためであって、ストレスフリーでした。
人にモノを教える快感というものも正直あります。成績不良者ゆえにそんな機会は今までほとんどありませんでしたしね笑。(笑い事ではない)

引っかかったところがあればその場で質問して、そこで調べて解決すればそこそこ関連知識も拾えたように思います。

手応えは割と感じました。

アウトプット

その後、113回、つまりは今年の医師国家試験の問題から循環器のみをピックアップして3人で話し合いながら解き進めていきました。

直前まで行っていた講義の復習にもなりますし、インプットからのアウトプットという理想的な学習スタイルだったのでは、と思います。

一年分とは言え、循環器だけでもそこそこ数はあるので1週間かけて復習がてら解き進めていきたいと思います。

総評

最初は不安が多かった留年生だらけの勉強会でしたが、少しずつ形になっていってるようです。

やはり、留年生しかいないといろんな意味で気楽です。お互い成績悪いのは分かってるので、できなくて恥ずかしい、みたいなのもないですし。

このまま、もしくはそれ以上に頑張って行こうと思います。とは言え、このやる気を持続させるのが一番難しいのかもなぁ、とか思ったり。

いつか医学部留年する君たちへ

新歓してると、一年生たちの眩しさに目が焼け顔を覆い部室の隅でうずくまってしまうのですが、きっと僕も入学した当初はあんな感じだったのだろうなと思ってしまい、消滅したくなりますね。

なんで、どうしてこんな…

なんて、僕は過去を後悔する人間ではないんですが、それは過去への後悔って結局のところ「自分が自分じゃなかったならば」という「無意味な仮定」になるからなんですよね。
その選択をしたからこそ僕なんだよな、という。
そんな僕でも留年に対しては思うところがなくはないわけで、少しばかりポエミーな文を書こうと思った次第であります。

目次

留年する人しない人

留年って色んな理由でするんですよね。もちろん学業成績的なものによるものもありますが、妊娠や出産、病気、場合によっては異常な教員の暴挙などもあるのかもしれません。

極論すれば留年は、誰もがしうるモノです。

それでも、多くの場合誰かが留年する時、大抵の周囲の反応は「あーやっぱり」みたいなものになります。

それはやはり、なんだかんだ留年の最たる理由が必要な点数を取れなかったから、になるからだと思います。
勉強してなさそう、出来なさそうな奴が留年するわけです。

しかしここで注意しなければならないのは、そういった「落ちそうな奴」全員が留年するわけではないことです。留年した人間の背後には、多くの「留年を免れた奴」が居るわけです。

つまり、留年する人と留年しない人がいるのではなく、留年する人と留年しない人と留年しそうなのにしなかった人がいるわけです。

留年する人と留年しそうなのにしなかった人を隔てるものは何か。

教授や大学のさじ加減。

そんなもんなんだと思います。そこに大した差はありません。ですが、現実に訪れる差異は決して小さなものではありません。

なんであいつが進級して、俺が!?

みたいなことはそんな珍しいことではないと思います。

僕の場合は留年するだろなーと思って留年してるので疑問の余地はあまりないですが、ぼくのようなタイプは試験ギリギリになっても勉強から逃げ続けおちるタイプなのでまぁ必然的に落ちるタイプです。こう言うタイプの留年は救いがないですね。だから敢えて言えば4つ目のタイプとして、留年するしかなかった人間、が居るのでしょう。

落ちる落ちる詐欺

試験近くになると現れる「落ちる落ちる詐欺」。成績上位者の人がツイッターやリアルで「ヤバイ、落ちる」「追試童貞捨てるわ」などと言い出すあれです。

落ちる落ちる詐欺で色んな人がイラついているのをリアルやツイッターで僕は見ました。まぁ怒りたくなる気持ちはわかりますが、なんで落ちる落ちる詐欺を聞くと怒りが湧いてくるのか不思議です。ウザいからではなんの説明にもなってませんし。まぁこのことへの考察は別の機会にするとします。

中にはフリだけで、微塵も落ちるなんて思ってない人もいるかもですが、おそらく大抵の落ちる詐欺の人は本気で落ちると思ってるのだと思います。
なぜ彼らはそんな勘違いをするんでしょうか。


そこでさっき話してたことを考えると、落ちるか否かは所詮、教授や大学のさじ加減なんです。だから、「落ちる落ちる詐欺」してる人達の方が「正しい」んです。試験を受けてみるまではどんな問題が出るかなんて保証はありませんし、解ける保証もありません。過去の傾向などから逸脱する可能性も大いにあります。

逆にここまでやればいけるだろう、なんて取らぬ狸の皮算用の勘違いなのです。

だったら僕たちにできることは謙虚に学ぶと言うことで「誠意を見せ続けること」になるんでしょう。もちろん不条理に従えなんてことを言ってるわけではないんですけど、まぁあまり大学や教授を舐めるもんでもないというか。

いつか自分たちが見ることになる患者さんのことを思って勉強する。

そんなふうに思って勉強できるようにこの一年はしていきたいと、思います。

まあ国試まで1年なくて、今日であと300日くらいらしいけれど。

ヤベェなぁ。。。

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国試への進捗 ドキッ!留年生だらけの勉強会 単位ポロリもあるよ の巻

前回までのあらすじ

卒業を目前に留年してしまった3人組!

あと1年間で卒試をパスして国家試験に合格できないと、医学に妙に詳しいだけのニートが出来上がっちゃう!
ここが踏ん張り所よ!頑張って木曜!

次回 木曜日死す テコムスタンバイ!

前回
国試勉強始めます - 木曜の医師国家詩篇

目次

勉強会始めました

と言うわけで、留年仲間で勉強することにしました。
前回集まった時に、循環器の勉強を一通りして、国試の問題出し合ったりしようか、と言う話になりました。

そして…1週間後

今回一応勉強した上で問題を出し合ったりしたのですが、どうにも留年生だけでは知識が増える感じがせず、手応えがなかった。

「この問題解けるか?」「うーん、これ?」「正解…」みたいなやりとり…

Rくん
「これは、ヤバくないか?」

もく
「うん、やばい」

Rくん
「こんな勉強会一年しても意味ないぞ」

そこで急遽予定を変更して勉強会(笑)を切り上げ、今後のことをじっくり考えることにしたのです。

ビデオ講座

そもそもビデオ講座をどうするか、ですが僕たちは留年生であり、もう親に金を払わせられないと言うこともあり、ビデオ講座には消極的でした。そしてその上

もく
「…ぶっちゃけさ、ビデオ講座去年見た?」

R
「見たところもあるけど、まぁあんまり、かな」

もく
「それにさ、本当にぶっちゃけると、ビデオ講座落ち着いて聞いてられないし、向いてない気がする」

R
「それな」

ビデオ講座、今となっては国試対策の王道。むしろこれなしに国試は語れぬほどの存在になりました。しかし、それがどうやら僕たちには合ってないらしい。もしかしたら、ビデオ講座を、無意識にやらない言い訳にしてるのかもしれませんが、実際聞いても何も残らないんですもん。中途半端に受動的なのが本当に向いてない。そして、「今」からビデオ講座をもう一回見直す時間的な余裕もありません。

僕たちはビデオ講座を切り捨てることにしました。

おそらくあまり賢い判断ではないのだと思います。人になんか勧めません。
しかし現状僕たちに取れる選択肢はこれしかありませんでした。

QB

恐らく動画講座に並んで国試対策に使われるであろうQB。これをどう使っていくか。

R
「これさ、多分ダラダラ解いてても意味ないよな、絶対抜け出てくるし、同じ問題だけが出るわけでもないし」

もく
「うん、ある程度頭に入ってる人がやる分にはともかく、そもそも入ってないもくたちがただ単にやるには穴が多すぎる」

R
「かと言って病見えを通読するのもな…」

さて、困りました。どうしたらいいのでしょうか。

勉強会をしよう

もく
「こうなったらしょうがない、諦めて『勉強会』しよう」

R
「というと?」

もく
「お互いに分担して循環器の特定の分野勉強してきて教え合おう。内容としてはQBの一周目問題を網羅的に研究してくる感じで。それとは別に循環器全域を個々で復習しておこう」

R
「死ぬほどめんどいが仕方ないか」

と言うわけで、留年生が留年生を教えると言う老老介護ならぬ留留講義が行われることとなったのです。

…何もかもが不安ですが、取り敢えずやることになりました。

俺たちに明日はない

R
「死ぬほどめんどいし、1週間でやれる分量じゃないけど、俺たちは『やれるかやれないか』じゃなくて、もうやるしかねぇんだよな」

そうです、僕たちはやるしかないのです。

後がないのです。気づけば残すところあと9ヶ月くらい。
きっと一瞬です。
その一瞬くらい全力で無茶して頑張ってもいいんじゃないか、とそう思いました。


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北風と太陽と癖っ毛

日記です。
アラサーになって周回遅れ感はありますが、身だしなみを整えるということに最近興味を持ち始めまして、洗顔用の石鹸とかを買い出してみたわけです。

ペリカン石鹸 ドットウォッシー 洗顔石けん 75g

ペリカン石鹸 ドットウォッシー 洗顔石けん 75g

今まで適当なやつを時々思い出したように使っては効果を感じられずすぐ使わなくなる、ということを繰り返してたんですが、彼女に勧められたこの石鹸の効果はすごくて、使った直後に肌が別人のようになって「え?これもしかして使い続けたら俺、美少女になるんじゃ?」と思わせるほどでした。

さて、男の身だしなみといえば髪のスタイリングが1番に上がるんじゃないでしょうか。
僕もワックスだのスプレーだの使ってみたんですが、どうにも側頭部の毛が生え方のせいかすぐにモワッとなるんですよね。スプレーやワックスで押さえつけてもしばらくすればモワッと浮いてきます。
不屈の精神の持ち主です。

そのことを彼女に相談すると「トリートメント使ってみれば?」と言われたので妹のトリートメントを拝借してみました。

男がトリートメントねぇ?などと思いつつ使ったら髪の毛が一気にさらっとなりました。

女の子になっちゃウぅッ!!

何これ?
しかも効果が翌朝翌日と持続して感動しています。


暴れん坊だった側頭部の髪の毛

スプレーやワックス、ジェルなどで無理やり押さえ込もうとしてもいうことを聞かなかったのに、トリートメントで大切にお手入れに手あげると素直にいうことを聞いてくれた。

まるで北風と太陽のようではありませんか。

髪は長い友達と言います。

アラサーになった僕の髪の毛がいつまで僕の頭部に残ってくれるのかわかりませんが、彼らがいてくれる限り大切にしてあげようと思いました。

新歓予定運命論

四月にもなり、大学生は新歓の時期です。

僕自身とある部活に在籍し、新歓されたり新歓したりもしました。

そんな人なら一度は「ノルマ」と言うことを意識したのではないでしょうか。

 

最低でも5人、1年生を入れよう

 

みたいな

実際僕も二年生の時、先輩から言われたりしました。でもこれっておかしくないですか?1年生はもう大学生で自我を持った人間です。(自我とは、みたいな話は一旦置いておきます)

そんな彼らが自分たちの部活に入るかどうかなんて、僕たちの努力の範囲外の出来事じゃないですか?

 

だったら新歓を頑張る意味なんてないのでは?

とはいえ頑張らないわけにもいかないし

 

そんなことを思った僕がたどり着いたのが

 

新歓予定運命説

 

です

 

目次

 

そもそも部活とは

部活とは組織です。それも場合によってはかなりの人間が関わってくるような。

 

そこに生じるタスクは複雑で多岐に渡ります。僕自身はあまり仕事をせず迷惑かけまくってた人間であまり偉そうなことは言えませんし、そもそもこんな文章を書く資格もない人間かもしれません。しかしまぁ、続けます。閑話休題

 

そのタスクに伴う労働に対して、基本的に対価は支払われません。後輩や先輩からの尊敬や高感度は得られるかもしれませんが、お金をもらう事はほぼ間違いなくないでしょう。

 

では何故、皆働くのか。部活に献身するのか。

 

誤解を恐れず雑に一言で言うなら宗教です。

 

宗教的情熱の献身で持ってしてそれはなされるのです。

 

見返りを求めぬ献身のみが部活を成り立たせます。

 

それ故に、部活には宗教的な雰囲気や狂気が必然的に伴うのだと僕は考えます。

 

こんな言い方をすると僕は部活大嫌い人間なのかと思われる方もいるかもしれませんが、バカにする意図はありません。僕は僕の属する部活は大好きですし、同じように宗教も尊いものだと思います。

 

新歓

新歓は部活による新入生の取り合いです。とは言え新入生はバーゲンセールのモノではありません。生きて自分の意思を持った人間です。

 

そんな彼らをコントロールしようとするのが新歓です。

それが善意にもとづこうが否が。

 

中には詐欺のように伝えるべき情報を伝えず、聴き心地良い言葉だけ並べて入部させるようなこともあるんでしょう。

 

でもそれって言ってしまえば詐欺ですよね?

 

ある程度は仕方ないことなのかもしれませんが。

 

僕は医学部の部活しか知らないので、他の大学や学部のことを知りませんが、医学部に限れば、総合大学でもキャンパスや部活が別だったり、ましてや単科系の大学ならなおさら新入生の数は限られてしまい、その争奪戦は苛烈なものとなる傾向はもしかしたらあるのかもしれません。

 

そんな中で上回生の必死さとは裏腹に、母数の少なさからその獲得の困難さは必然的に高くなります。

 

運命論

新入生は自由意志の持ち主です。それも成人している。ですから、上回生によるコントロール下における、なんてのは傲慢な考えだと僕は思います。もしも彼らにとって本意でない決定をさせるとしたらそれは、詐欺です。

 

僕たちにできるのは、自分たちのあり方や姿を見せて伝えて、入部してほしいという気持ちを伝え、彼らの選択肢の1つとして提示することだけです。逆に言えば認知させることだけは絶対にしないといけません。知らなければ選びようもないのですから。

 

新入生は「運命」そのものです。僕たちにはどうしようもなく、勝手に回り出す歯車です。

それに対する僕たちは「その歯車がいつか走るかもしれない道」の1つであるだけです。

 

となると、もはや新歓って頑張らなくてもいいのでは?となりそうですが、そうではない、と僕は考えます。

 

カルヴァンの予定説

カルヴァンという人物をご存知ですか?

世界史選択者の方なら名前は聞いたことがあるかもしれません。もしくは宗教に興味のある方は。たった1人の男が宗教的情熱によって1つの街を支配したことがかつてありました。

そのカルヴァンが語ったのが予定説という思想でした。

カルヴィニズム Calvinism・二重予定説 Double predestination

ここから語る「予定説」の話は僕の曖昧な知識と認識に基づくので話半分に聞いてください。

 

カルヴァンの予定説を要約するとこうです

 

全知全能である神はあらかじめ、誰を救うかは決めている。

だから、人間ごときが神様のご機嫌とりに献身をしたとしても全く意味がない

ただし、神に救われることが決められた人間ならば当然「神への献身を行う」はずである

 

 

現代を生きる僕たちからすれば何を言ってるんだという話ですが、このロジックの恐ろしいところは、カルヴァンの言葉を信じた人たちは「自らが救われる側の人間であることを証明するために、より一層神への献身を行うようになった」というところにあります。

 

何か行動をするときに彼らは常にこう考えます。

 

私は神に救われる人間だ。であるならばどう行動するか?

 

信じるものは救われる、ではありません

救われるから信じるのです。

 

最初に僕は部活とはその献身という性質で持って「宗教」だ、と言いました。

であるならば、そこで行われる行動の動機もある種の合理を超えて宗教的であっても良いのではないでしょうか。

 

そう考えた僕は、新歓における努力にカルヴァンの予定説における献身を見出しました。

 

新歓予定運命説

ここまでのことをまとめると

 

新入生とは運命である

 

運命であるが故に我々の手に届かない

 

手が届かないが故に手を伸ばさねばならない

 

ということになります。

 

つまり、新入生である彼らをコントロールしようとするのは傲慢で間違っているが、何もしなくて良いわけではなくて、あらかじめ定められた、入部という運命の道筋に沿うように新歓はしなければならない。という感じになります。

 

何言ってんだこいつって感じですよね。

 

僕もそう思います。

以上僕の個人的な信仰のお話でした。

 

新歓時期、新歓する方もされる方も、色々悩んだり苦しんだりすることと思います。

ですが一度、自分の人生のかなりの部分は自分の思い通りにならないということを素直に受け止めて、その上で自分自身の選択に少し無責任になってみてもいいのではないでしょうか。

 

良いも悪いも運命です

国試勉強始めます

昨日は改元で大盛り上がりでしたね。

個人的には令和という字面も響きもかっこ良くて好きな元号になりそうです。

 

さて、ついに始まりましたるは新学期。僕にとって2回目の第6学年です。

 

ついに本格的に勉強を始めていきたいと思います。本当は昨日からのつもりだったんですが、病院に行ったりなんたりでほとんど出来ず、今日からと相成りました。

仕方ないです。そういったままならなさの中でどうやって頑張るか、が今年のテーマにもなるのでしょう。

 

そこで、僕の勉強の進み具合など誰も興味はないのでしょうが、一応ここに書くことでモチベーションアップの一助にしたいと思います。いつまで続くのかは分かりませんが、ブログの更新頻度を上げることにもなるのでしょう。

まぁクソ記事が増えるだけな気もしますが。

 

取り敢えず今後の大目標

 

8月くらいまでには、マッチングの前に国試範囲の総ざらいを行う。

 

ペースメーカーとしての教材はクエスチョンバンク(QB)にて行います。

 

これをA-Zの20冊あまりを1週間で1冊進めていきます。

 

そして2週間に一度、留年生仲間で集まり進捗の確認とその分野に関してのアウトプットを行う、と言った進め方をしたいと思います。

 

動画講座は、おそらく見ません。

 

理由としては

 

1.お金がないので新たには買えない

 

2.そもそも、動画講座が向かない。聴いてても集中できず聞き流してしまう

 

があります。1の理由はともかくとして、2の理由は僕自身の特性にも基づくもので割と深刻です。画面の前でおとなしく座ってちゃんと聞く、ということが非常に苦手です。アニメなど見てても割と疲れてしまいます。好きなんですけども。昨年、一応MECの動画講座取ってたんですが、結局あんまり見なかった上にまた内容もほとんど頭に残ってないんですよね。多分こういう人、一定数いると思うんですよね。動画講座が国試対策の基本となる傾向がますます強まる今日この頃、この「動画不耐症」の人たちにとっては困難な状況になるので、そう言った人たちに向けてなんらかの可能性の1つを示せたらな、とも思います。

(国試に動画講座が必要か否かに関してこんなブログを見つけました参考までに)

医学部ビデオ講座不要論(Q. 医師国試対策に映像授業は必要ですか?) – QQ医学生のブログ

 

まぁ誰かの役に立とうなんて傲慢で自己満足のブログでいいんですけど。

 

では、新年度よろしくお願いします。

卒業というイベント

今週のお題「卒業」

たまには「はてなブログ」の機能の一つであるお題提供サービス使ってやるか、と思ったらこのお題ですよ

卒留した僕を精神的に殺しに来てるんですかね

卒業には2種類あります

待ってても勝手にやってくる卒業、勝ち取りに行かねばならない卒業

前者は小学校や中学校の卒業で、後者は大学や童貞ですね

え?待ってても勝手に童貞卒業できた?何言ってんだ、〇すぞ。

閑話休題

とは言え、卒業には2種類ある、とか言いつつも実際にはすべての卒業は「勝ち取ったもの」なんだと思います。

勝ち取った、というと語弊があるかもですが、当たり前のように思えた小学校、中学校の卒業も決して絶対的なものではなくて、いくつかの幸運や平和に守られたものだったのだと思います。

いじめや健康の問題、貧困や様々なことがこの世にはあります。

ある種の「当たり前」になれなかった僕だからこそ、そう思うだけなのかもしれませんけども。

ある種の場所に自分のせいで到達できなかった僕は、もう1年、周りに迷惑や不幸を振りまきながらなんとかやっていこうと思う。

卒業できる人は無意識に歩いていて、僕は歩みを止めてしまった

ヒロイックな感傷でそのことを美化するつもりはないけれど、そんな風に考えていた。

だけど、今日改めて考えてみると別に僕以外の人たちは「無意識に」歩いてなんかいなくて、その人たちなりの苦しみや葛藤の中で歩き続けていて、僕にはそれが見えていないだけなんだろうと思う。みんなが、卒業やその先を見据えながら歩いている横で僕は歩みを止めてしまった。

いや、横になんかいなかったのかも。遥か後方にいる事にすら無自覚で。

無意識どころか、どうしようもなく無自覚なのが僕だったのだ。

自分も周りも何にも見えていない。

だから、背筋を伸ばして周りを見ながら歩いていく、なんてそんなキレイな自分に酔った言葉で取り繕わずに這ってでも良いから泥まみれになりながら自分の愚かしさや醜さを受け入れながら、やっていこうと、そう思います。