木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

いつか医学部留年する君たちへ

新歓してると、一年生たちの眩しさに目が焼け顔を覆い部室の隅でうずくまってしまうのですが、きっと僕も入学した当初はあんな感じだったのだろうなと思ってしまい、消滅したくなりますね。

なんで、どうしてこんな…

なんて、僕は過去を後悔する人間ではないんですが、それは過去への後悔って結局のところ「自分が自分じゃなかったならば」という「無意味な仮定」になるからなんですよね。
その選択をしたからこそ僕なんだよな、という。
そんな僕でも留年に対しては思うところがなくはないわけで、少しばかりポエミーな文を書こうと思った次第であります。

目次

留年する人しない人

留年って色んな理由でするんですよね。もちろん学業成績的なものによるものもありますが、妊娠や出産、病気、場合によっては異常な教員の暴挙などもあるのかもしれません。

極論すれば留年は、誰もがしうるモノです。

それでも、多くの場合誰かが留年する時、大抵の周囲の反応は「あーやっぱり」みたいなものになります。

それはやはり、なんだかんだ留年の最たる理由が必要な点数を取れなかったから、になるからだと思います。
勉強してなさそう、出来なさそうな奴が留年するわけです。

しかしここで注意しなければならないのは、そういった「落ちそうな奴」全員が留年するわけではないことです。留年した人間の背後には、多くの「留年を免れた奴」が居るわけです。

つまり、留年する人と留年しない人がいるのではなく、留年する人と留年しない人と留年しそうなのにしなかった人がいるわけです。

留年する人と留年しそうなのにしなかった人を隔てるものは何か。

教授や大学のさじ加減。

そんなもんなんだと思います。そこに大した差はありません。ですが、現実に訪れる差異は決して小さなものではありません。

なんであいつが進級して、俺が!?

みたいなことはそんな珍しいことではないと思います。

僕の場合は留年するだろなーと思って留年してるので疑問の余地はあまりないですが、ぼくのようなタイプは試験ギリギリになっても勉強から逃げ続けおちるタイプなのでまぁ必然的に落ちるタイプです。こう言うタイプの留年は救いがないですね。だから敢えて言えば4つ目のタイプとして、留年するしかなかった人間、が居るのでしょう。

落ちる落ちる詐欺

試験近くになると現れる「落ちる落ちる詐欺」。成績上位者の人がツイッターやリアルで「ヤバイ、落ちる」「追試童貞捨てるわ」などと言い出すあれです。

落ちる落ちる詐欺で色んな人がイラついているのをリアルやツイッターで僕は見ました。まぁ怒りたくなる気持ちはわかりますが、なんで落ちる落ちる詐欺を聞くと怒りが湧いてくるのか不思議です。ウザいからではなんの説明にもなってませんし。まぁこのことへの考察は別の機会にするとします。

中にはフリだけで、微塵も落ちるなんて思ってない人もいるかもですが、おそらく大抵の落ちる詐欺の人は本気で落ちると思ってるのだと思います。
なぜ彼らはそんな勘違いをするんでしょうか。


そこでさっき話してたことを考えると、落ちるか否かは所詮、教授や大学のさじ加減なんです。だから、「落ちる落ちる詐欺」してる人達の方が「正しい」んです。試験を受けてみるまではどんな問題が出るかなんて保証はありませんし、解ける保証もありません。過去の傾向などから逸脱する可能性も大いにあります。

逆にここまでやればいけるだろう、なんて取らぬ狸の皮算用の勘違いなのです。

だったら僕たちにできることは謙虚に学ぶと言うことで「誠意を見せ続けること」になるんでしょう。もちろん不条理に従えなんてことを言ってるわけではないんですけど、まぁあまり大学や教授を舐めるもんでもないというか。

いつか自分たちが見ることになる患者さんのことを思って勉強する。

そんなふうに思って勉強できるようにこの一年はしていきたいと、思います。

まあ国試まで1年なくて、今日であと300日くらいらしいけれど。

ヤベェなぁ。。。

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