卒業というイベント
今週のお題「卒業」
たまには「はてなブログ」の機能の一つであるお題提供サービス使ってやるか、と思ったらこのお題ですよ
卒留した僕を精神的に殺しに来てるんですかね
卒業には2種類あります
待ってても勝手にやってくる卒業、勝ち取りに行かねばならない卒業
前者は小学校や中学校の卒業で、後者は大学や童貞ですね
え?待ってても勝手に童貞卒業できた?何言ってんだ、〇すぞ。
とは言え、卒業には2種類ある、とか言いつつも実際にはすべての卒業は「勝ち取ったもの」なんだと思います。
勝ち取った、というと語弊があるかもですが、当たり前のように思えた小学校、中学校の卒業も決して絶対的なものではなくて、いくつかの幸運や平和に守られたものだったのだと思います。
いじめや健康の問題、貧困や様々なことがこの世にはあります。
ある種の「当たり前」になれなかった僕だからこそ、そう思うだけなのかもしれませんけども。
ある種の場所に自分のせいで到達できなかった僕は、もう1年、周りに迷惑や不幸を振りまきながらなんとかやっていこうと思う。
卒業できる人は無意識に歩いていて、僕は歩みを止めてしまった
ヒロイックな感傷でそのことを美化するつもりはないけれど、そんな風に考えていた。
だけど、今日改めて考えてみると別に僕以外の人たちは「無意識に」歩いてなんかいなくて、その人たちなりの苦しみや葛藤の中で歩き続けていて、僕にはそれが見えていないだけなんだろうと思う。みんなが、卒業やその先を見据えながら歩いている横で僕は歩みを止めてしまった。
いや、横になんかいなかったのかも。遥か後方にいる事にすら無自覚で。
無意識どころか、どうしようもなく無自覚なのが僕だったのだ。
自分も周りも何にも見えていない。
だから、背筋を伸ばして周りを見ながら歩いていく、なんてそんなキレイな自分に酔った言葉で取り繕わずに這ってでも良いから泥まみれになりながら自分の愚かしさや醜さを受け入れながら、やっていこうと、そう思います。