木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

そば打ちと恋愛と医師国家試験 〜何故医学生たちは恋愛を「語る」のか〜

年末ですね。

所謂医クラアカウントである「木曜の医師国家詩篇」を作ってそろそろ一年になります。

みなさん恋愛の話好きですねぇ!!

とは言えタイトル詐欺にはなるんですけど僕は医学生だけがそんな目立って恋愛話好きだとは思わないんですよね。学生なんてそんなもんでしょ。

とは言え、適当にありそうなことでっち上げて言い散らかすのがこのブログの楽しみなので「敢えて」、敢えてですよ、「何故医学生は恋愛を語りたがるのか」ということをあることないこと語っていきたいと思います。完全に自己言及のブーメラン記事ですがね。

一応、そんなもん普通並べて語らんだろというもんを独断と偏見で並べて語るコンセプトの並列怪論の一つとして「そば打ち」と「恋愛」と「医師国家試験」の比較を軸に語ろうと思います。

女性医師とフェルマーの最終定理 - 木曜の医師国家詩篇

目次

そば打ち

そば打ちってありますよね。定年退職後のおっさんが始めるというアレです。僕自身、ツイッターは6年くらいしてますけど本当に男性アカウントが突然蕎麦を打ち始める現象に出会うんですよね。

(まぁ実際の数とかは知りませんがそこそこいると決めつけておきます。)

なんでそんなことが起こるかということ独断と偏見ベースで語っていくと、要素として大きく3つあると思います。

1つ、マニュアル化されている。そば打ち「セット」みたいなのが売られていてハードルが低いんですよね。

2つ、成果がすぐでる。そばですからね。打って切って湯がけば食えます。自分が作ったものって補正でかなり美味しく感じますし。

3つ、孤独にできる。そば打ちサークルに入らなくてもできるんですよね。これが野球とかだとそうはいかない。

 

これら3つの要素はそば打ちに限らず、最近流行りの趣味の多くに言えそうな気がします。アニメ、カメラ、ダーツ、ボルダリング。大学生がやりがちな趣味としてツイの者の槍玉に挙げられがちのやつですね。他人の趣味くらいほっとけや、と思いますがそういう人たちは人間ごときの生活が何か高尚なものだとでも思い込んでるのでしょう。

 

恋愛

さて、では翻って恋愛です。恋愛もまた上記の要素を持ってると僕は考えます。

1つ目、マニュアル化されてます。但し、ここでいうマニュアルは「正解」が用意されているという意味で、です。ツイッターでも恋愛語りアカウントがこれが「正解なんや!」とでも言わんばかりのテクニックを語っていきます。そしてグーグルの検索でもデートのやり方とか告白の方法みたいなのが事細かに書かれています。「告白  デート  何回目」みたいな検索をした記憶が男子諸君はあるんじゃないでしょうか。デートの前日は必死にデートの方法を調べたりしませんでしたか?しましたよね。まぁ、これについては後で述べる「医学生」に絡めて更に語りたいと思います。

2つ目、成果がすぐでる。いや、出ないだろ、告白できずそのまま終わることも、振られることだってあるだろう、と、そう言いたいんですよね。それは「恋人関係の成立、維持」を成果とした場合ですよね。さっきのそばの話で自分で使ったそばには補正がかかるという話をしましたけど、めちゃきもい話、恋愛は思い込んだらなんでも「脈あり」になるんですよ。物理現象としての人間と人間が接触すればそりゃなんらかのリアクションがあるわけです。

例えば、挨拶すれば(基本的には)挨拶が返ってきます。最悪なことを言えばストーキングすれば嫌悪の感情というリアクションがあるわけです。気持ち悪いことを言えば相手の無関係な行動を勝手に自分に結びつけて一喜一憂したりすることはそんなに珍しいことじゃないと思います。(そうだよね…?)

そして最後に孤独であること。いや、恋愛なんだから孤独なわけねぇだろ、という話があるかもですが好きでいるだけなら相手がその場に不在でもできます。そして仮に恋人ができたとしても2人の都合が合えば恋愛出来ます。5人のメンツをなんとか揃えて、みたいなボードゲーム会みたいなことしなくてもいいです。

以上のことを踏まえると所謂マッチングアプリの登場は恋愛の趣味化の過程において重要なものなんだろうな、と個人的に思います。人と人との出会いは基本的に所属する社会集団に縛られますが、そこから解放される(孤独になれる)わけですし、街角のナンパよりも効率的にマニュアル化された精度の高い恋愛を楽しめるわけです。知り合いのナンパして100人と性行為した奴はナンパしてデートやベッド持ち込めるのは数パーセントくらいと言ってましたしそれを考えるとデートに持ち込めるか否かはスマホ上で決まるわけで効率的なんじゃないかと思います。まぁそいつは色々あって逮捕されましたし。

趣味化する恋愛

まぁこんだけ語って言いたかったことは、恋愛は趣味化してるよねっていうそれだけのことです。

しかし一方で社会的な不安が増大する中で結婚という選択の重みが増していってるわけでそこらへんのアンバランスさが難しいな、と思います。

 

医学生は何故恋愛を語るか

ここからは完全にブーメランパートです。僕がめちゃ器用に切腹自殺する様をご覧ください。

冒頭でも述べた通り、僕は別に医大生だけが目立って恋愛を語るわけでもないと思います。ですが、ここではあえて、「他と比べたわけではなく、医学生が恋愛を語りたがるとすればそれは何故か」という話をしたいと思います。

 

話題がない

ぶっちゃけすぎだろ、という話ですけど割とこれはあると思うんですよね。医学部は割とフルで時間割が埋まってることが多い学部だと思います(他と比べて、ではなく)。そうなると1人の人間が余暇の活動に割けるリソースはかなり限られてきます。そんな中で恋愛という選択肢が上位に来るのはそんなに違和感はありません。さっき言ったように恋愛は高度にマニュアル化され、参加ハードルそのものは高くありません(恋人ができるという意味ではない)。そして人生における伴侶を見つけると言う話になると学生時代の恋愛の重要度は後々の仕事のハードさを考えれば決して軽くないでしょう。とくに結婚願望のある女子医学生は。

 

逆にお前、俺の風呂場で水滴繋げてでっかい水たまり作る趣味の話聞きたいか?

これは特にツイッターの話なんですけど、ツイッターで自分が全く知らない興味もない趣味の話題してる人がいたら基本スルーしますよね。恋愛はなまじ身に覚えがあればこそ聞いた方も耳についちゃうんですよ。そして語り手側もリアクション笑えやすい話題をするようになる。これはまぁ恋愛に限らずいろんなクラスタが同じような話をぐるぐるぐるぐるとしてるという話のコンボだと思います。別に医クラだけの話じゃないですよ。そんな特別でも特殊でもないです、多分。

 

「頭がいい」から医学生は恋愛を語る

頭の良さ、という話もツイッターで定期的に盛り上がりますね。誰にでもわかるように説明するのが頭がいいだとかなんとか。

個人的には定義不十分な言葉で言葉遊びを延々としてる虚無度の高い話だな、と思います。

さて、ここでは頭の良さは「観測から法則を導くこと」と定義してみたいと思います。

ニュートンがリンゴが落ちるのをみて万有引力に気づいたとかいうアレです。

医学の勉強をしてると、鑑別という概念が出てきます、これこれこう言ったことがあれば、これらの疾患が考えられるよね、という奴です。医師国家試験という奴はこう言った「おそらくそうであろう」という経験則を無限に試される試験です(と留年生である僕は理解してます)。

それらの経験則、所謂エビデンスとかなんとかいう奴は膨大な症例の積み重ねの果てに見出された法則たちな訳ですが、僕たちはその上澄みを学ぶことで、医師国家試験やそれに準ずるあらかじめ「仕上がってる」症例を問題として経験していく中で経験則を積み重ねていきます。

これがある意味医学生に求められる「賢さ」の1つだと思います。

とは言え、これって大元の経験則の成立過程から考えたらおかしいことしてるんですよね。めちゃくちゃ少ないバイアスかかりまくりのサンプルから経験則を再導出してるわけじゃないですか。別にそれが悪いって話じゃなくて、歪だよねって話で。

医師国家試験と恋愛

ここでようやく恋愛の話に返ってくると、個人が体験できる恋愛なんてサンプル母数がめちゃくちゃ少ないわけです。ですが、「賢い」医学生たちはそこから「経験則」を見出してしまうわけです。その発見を喜びとともに語るわけです。

ですが、それが間違ってる、とは言いません。最初から言ってるように恋愛は高度にマニュアル化されており、そのマニュアル化される恋愛の中での母数の少ない経験則はそこそこの妥当性を持つのです。

医師国家試験が各種予備校の教材によってその難易度を底上げされて行くのととても良く似てますね。

医師国家試験も受かった後、恋愛も恋人になった後が大変なようで、とりあえず僕は医師国家試験に向けて最後の一踏ん張りをしたいと思います。

こんなこと書いてる場合じゃねぇんだよなぁ。