木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

もく読日記  四冊目 ずうのめ人形 【考察】

  できる。簡単にできる。いつでも、今からでも。お前ができることなら何でも。

  「いい笑顔ですね、お子さんたち」

「ごめんなさい、なんとなくだけど、人形が入ってる気がして」

    結論から書く。私はもう直ぐ死ぬ。

「変なこと訊くけど、こっくりさんで変なの呼んだでしょ?」

   「会いたかったよ、サダコ」

 

 

さて、四冊目。前回の「ぼぎわんが、来る」の続編を読んだ。

もく読日記 三冊目 ぼぎわんが、来る - 木曜の医師国家詩篇

前回がかなり雑に書いてしまったので少ししっかり書いてみようかな。あとで自分が読んでもわかるくらいには。

 

 

 

ずうのめ人形 (角川ホラー文庫)

ずうのめ人形 (角川ホラー文庫)

  • 作者:澤村伊智
  • 発売日: 2018/07/24
  • メディア: 文庫
 

 

 あらすじ(文庫本裏表紙より)

不審死を遂げたライターが遺した謎の原稿。オカルト雑誌で働く藤間はこうは岩田からそれを託され、作中の都市伝説「ずうのめ人形」に心惹かれていく。

そんな中「早く原稿を読み終えてくれ」と催促してきた岩田が、変死体となって発見される。その直後から、藤間の周辺に現れるようになった喪服の人形。一連の事件と原稿との関連を疑った藤間は、先輩ライターの野崎と彼の婚約者である霊能者・比嘉真琴に助けを求めるがー!?

 

 ネタバレなしの感想

まずはネタバレなしの雑感。

これはホラーというよりミステリーなんだろうなぁ、という感じがする。

面白かったのは間違いない。伏線の回収に何度も唸らされた。

「ぼぎわん」でも感じたが、この作者は(少なくともこの二作品に関しては)かなり技巧的に組み立てている。それが僕には少しだけ煩わしく感じてしまった。ぼぎわんよりもその傾向は強く、ホラーとしての恐怖感はやや薄れる。ホラーを読んでるはずなのに、ミステリーを読む心構えになってしまった。この二者が明確に分けられるものなのかは置いておくとして。

だが、もう一度読めば一度目より「怖く読める」と思われる。ネタバレになるのでその話は今は置いておく。

あまり「間」がない小説である。だがそれは持ち味でありこの小説に出てくる「だんだん近づいてくる人形」というモノとの相性はとても良い。そのスピード感でぐいぐい読まされ読めぬ展開と真実に引き込まれる作品であった。

 

 

 

これよりネタバレ

 

 

 

まずとりあえずの感想

岩田くーん!!!!!!!!!!嘘やろ!?!?!?

 

死んでもうた…

 

しかもかなり後味悪い感じに。一応のフォローはあったけども。まぁ彼は別に聖人君子キャラでもないから生き残るため他人に呪いを移そうとするのは分からなくもないが。

 

めちゃぶっちゃけた話だけど。作者の澤村さん、少なくとも「ぼぎわんが、来る」「ずうのめ人形」を書いてる時点ではまだあまりアクション要素の強い描写は得意ではないのか?となった。もちろん僕が代わりに書けと言われて書けるわけもないのだが。前回に引き続き最後は化け物とのバトルなのだが、その描写のもの足りなさを感じてしまった。僕がライトノベルなどの過剰な戦闘描写に慣れてるだけなのかもしれないが。

戸波さん女性トリックは一度、とある小説*1で味わったことがあったので勘付いてしまった。(一番下に脚注として作品名を載せておくので最大のネタバレをしてしまうが気になる人はどうぞ。手に入るのかな…?)

あと里穂がいじめっ子なのはわりとわかりやすかった。井原くんが出た時点でおやおや?となった。

それだけに察しの悪い藤間にイラついてしまった。

 

二人の主人公

だがこの藤間の異様なまでの察しの悪さは里穂の「記憶の改竄」とに似たものなのかもしれない、とも思った。

こいつら二人とも被害者ヅラがうまいのである。

酷い言い方をすると、だが。

他人が結婚したり恋愛したりするのにいちいち傷ついて見せて、まるでそれが「正当なモノであるかのように」藤間は振舞うし語るのだ。彼の片思いのことを思えば理解できなくもないが、だがしかしそんなこと他人に関係ない。

里穂に関してはいうまでもないだろう。

 

また共通点として「見透かされてる」というのもある。

藤間は戸波に、里穂はミハルに。

本人たちは隠してたつもりなんだろうが。

こいつらは自分のことが見えてないくせにすぐ見透かされるのだ。

目をぐるぐる糸に巻かれたずうのめ人形はもしかしたらその比喩なのかもしれない。

そして呪われた人たちが目をえぐるのは「見られたくない」からなのかも。

 

呪いの正体に関する個人的考察

糸は視線の具象化したモノだと僕は考える。眼差しと言ってもいい。

呪われた人間だけに見える糸はおそらく「呪いの本体からの視線」だ。

ベッドで里穂に絡み付いた糸はおそらく視線だ。

視線は纏わり「憑く」モノなのだ

父親と里穂の入浴場面もまた視線の話だと言える。

本文で語られるのは都市伝説の伝播。広がることについてだった。それはビデオだったり手紙だったり。「残穢」は一つの点から樹木のように広がっていく。

ずうのめは違う。糸だ。人と人との関係性、縁で伝わり、眼差しを辿って「やってくる」のだ。行って。帰ってくる。だから広がらないのだ。

糸電話のような行き来とでもいうのか。そこまで言うと流石にこじつけ感が出てくるが。

 地の底に繋がる糸。それを僕たちは知っている。

それはカンダタに垂らされたお釈迦様の糸ではないか?

そしてまさしくその糸は、お釈迦様が地獄を覗いたことで、カンダタに向けた眼差しゆえに生まれたモノだ。

深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いている、などと言うあまりに有名な言葉があるがまさしくそうなのだ。

地の底に糸が垂らされるのならば、逆もまたしかりなのだ。

糸はこちらに伸びてくる。

こちらを「見る」のだ。

 

地の底が地獄だと言いたいわけではないが「そう言う場所」がある。と言う話だ。

ぼぎわんにおける「お山」みたいなモノだろう。

 

何にせよ、何処にせよ。

巨大な隙間を、空虚を抱えた里穂を、眼差しは捉えた。

 

*1:「リログラシスタ」と言うミステリで殺人事件の謎解きに挑むハードボイルドな高校生探偵が出てくるのだが、そいつが実は女であることを解き明かす叙述トリックのためだけに描かれた作品だった。「葉桜の季節に君を想うということ」が近いと言えばわかりやすいだろうか