もく読日記 三冊目 ぼぎわんが、来る
「そこからは私の仕事です」
「はい。基本どっか––––遠くにいる」
「こんなことだろうと思っていました」
「何かが––––来たんだな?」
「ちがつり」
さて、三冊目。
もく読日記 二冊目 理科系の作文技術 - 木曜の医師国家詩篇
実は数日前から読み進めている哲学系の本があるのだが、難しすぎてなかなか進まない。
逃げたわけではないのだ。
国試直前期、現実逃避からホラー動画見まくってたら映画「来る」の予告を見て気になり、ツイッターのフォロワーにもおすすめされていて、読みたいとこの一月ぐらい思っていた作品なのだ。
買ってその日に読み終えたのは
「ぼぎわんが、来る」
以下Amazonのあらすじから引用
幸せな新婚生活を営んでいた田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。取り次いだ後輩の伝言に戦慄する。
それは生誕を目前にした娘・知紗の名前であった。原因不明の怪我を負った後輩は、入院先で憔悴してゆく。
その後も秀樹の周囲に不審な電話やメールが届く。一連の怪異は、今は亡き祖父が恐れていた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか?
愛する家族を守るため秀樹は伝手をたどり、比嘉真琴という女性霊媒師に出会う。
真琴は田原家に通いはじめるが、迫り来る存在が極めて凶暴なものだと知る。はたして“ぼぎわん”の魔の手から、逃れることはできるのか……。
“あれ”からは決して逃れられない――。綾辻行人・貴志祐介・宮部みゆきら絶賛の第22回日本ホラー小説大賞〈大賞〉受賞作!
感想を一言で言えば、めちゃ面白いホラー。
所謂ジトジトした「日本らしい」ホラーとはかなり違う気がした。
緩急の付け方がすごい。変な意味での引き伸ばしがない。気づいた時にはもう「来てる」のだ。じわじわとなんて来てくれない。隙なく「害意」が敷き詰められている。
おそらくだがミステリにかなり影響を受けた作品なのだろう。本文中に何度か姑獲鳥への言及があることも無意味なことではないと思う。
この小説、民俗学的なことは下敷きになっているのだがその実際の歴史などはほぼほぼ無関係でそちらの話に興味ない人間にも優しい。逆に言えばそこを掘りたい人間にはやや物足りなく感じることもあるかもしれない。
ここより下はネタバレあり
この文を書きながらAmazonのレビューも見てるのだが「ラノベみたい」という感想が気になった。
終盤出てくる琴子のことである。
最強霊能力者の登場でしらけるというのだ。
まぁ終盤ー第三章はそれまでとかなり雰囲気が違う話運びになっているのはわかる。それはそもそもがそこからはバケモノ退治の話なのだから。それは本文中にも
「退治とかせんかったんか」
「そういう記述はないね。というかー」(略)「この手の話にはねそんな記述はあんまり残ってないよ。誰かの怨霊とか、古くなって捨てられた器物の類なら別だけど」
という下りがある通りこれは、「ぼぎわん」は妖怪ではないのだ、最後に明かされるように元は人間の成れの果てであり、逆に言えばこれはその物語なのだから「退治される」のだ。
退治できない恐怖は確かに怖いが、逆に言えばそれは物語としての逃げではないか?向き合って退治してなお恐ろしい、それが「ぼぎわん」なのだ。