もく読日記 五冊目 極北 FAR NORTH
「私は肝の据わった人間だ。そうでなければやっていけない」
「どこから来た?誰と一緒だ?みんなで何人いるんだ?」
「西に行った」
「世界全体がよりみすぼらしい、
より無味乾燥な場所になっている」
「文明と都市生活は同義だ」
久しぶりに小説を読んだ。前回の読書日記はこちら
というか4月に買って少し読んでしばらく手をつけられなかった。
八月を前にして、うだるような熱気の中で極北の凍える大地の物語を読むのもまぁいいものだったのかもしれない。
もしをこの文を読む人がいれば、以下の感想文にも満たない細切れの感想はネタバレを含むものになるであろうからそれを了解して欲しい。
物語舞台は何らかの理由で人類文明が崩壊し、僅かばかり残った人間たちが北へと逃れ、微かな大地の恵みにしがみ付きながら何とか生き延びているそんな世界だ。
メイクピース
とりあえず主人公がクッソかっこいい。めちゃくちゃタフだ。小学生の頃読んでいた「守り人シリーズ」の槍使いバルサを思い出した。
まぁこのくらいタフでなければこの極北の世界で生き残ることはできないだろう。
ただ、凡庸だと思ってしまった。
彼女のタフさは物語の要請によるものだ。
彼女が女性であることが最後の「妊娠」によってその一点に還元されてしまった感じすらある。
女性的でないことがいいと言いたいわけではない。
ただ、メイクピース自身が非女性的に振る舞う割に終盤にかけて彼女の女性的な役割が前面に出てくるのは若干の齟齬を感じた。ピングのことを思えば序盤から母性には溢れていたのかもしれないが。
極北
皆が目指している「極北」が「正しさ」や「信念」の比喩でもあることが終盤明らかになる。だが一度そこに「到達」して仕舞えば「北も南もなくなる」のだ。
これはいい表現だと思った。
ホグワーツ
何でいきなりホグワーツ。いやーハリーポッターシリーズってあるじゃないですか。あの物語、あれだけ豊かな世界観してるのに中盤まではお話が学校の中で完結するじゃないですか。なんだかそれが息苦しくて苦手だったんですよね。
それと似たものが「極北」の読後感にあったのだ。
この物語は「エヴァンジェリン」に始まり「エヴアンジェリン」に終わる。
あれだけの大移動をしていて、だ。
確かに主人公は変わったのかもしれない。でもそれはあくまで希望としての「飛行機」を失い、新たに自らの子という希望を手に入れたことによるものだ。
彼女自身が語るように、別に彼女が最後の人類なわけでもない。
なのになぜ。彼女は自らの子を通してでしか「未来」を感じられないのか。
そしていつまでもピングの影を追っている。
彼女は本当に「戻ってきてしまった」だけなのではないか。
別に前に進むことだけがいいことではない。
もしかしたらこうやって「繰り返すこと」の方がよりこの星のあり方に適するのかもしれない。
進み続けて「極北」に至った人類はだからこそ「どこにもいけなくなった」のかもしれない。
どこにも行く必要がなくなった。飛行機などいらない。
そのことにメイクピースは気づいたのかもしれない。