木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

頭の建て付けが悪い話

久しぶりのブログです。肩慣らしに日記でも書きますかね。
もうそろそろ六月で今年も半分が終わり、季節は気づけば夏です。受験生である僕にとってこの事実は鬱々としてしまいます。
国試対策で知識をツメツメしてる僕ですが、自分の記憶の悪さに辟易しております。
そんなわけで今日は僕の記憶の話です。

記憶の引き出し、なんて言葉があるように記憶は引き出しに例えられます。

この話で行くと、僕はこの記憶の引き出しの建て付けがとても悪い。

あまり自分では言うものではないと思うのですが、多分引き出しの容量自体は医学部になんだかんだ入ってる時点でそこまで悪くはないと思うのです。まぁ医学部基準で言うと少なめではあると思いますが。しかし、それ以上に「建て付けが悪い」。

例えばある知識が問われたとして僕は元々の不勉強のせいも大きいですが大抵答えることができません。問題なのは知ってる知識であってもそれが起こることです。

ある問いかけがあったときに関連する知識がわっと出てこようとするんですけど、それを取り出そうとすると途端に混乱して出てこなくなってしまうのです。
自分の記憶に自信がないからでしょ?と思われるかもしれませんが、僕の体感は少し違います。


ここで、また引き出しの話に戻ります。

引き出しと言う家具に求められる機能は3つ。

まず1つは「保存すること」

2つ目は「入れられること」

3つ目は「出せること」

あとはまぁ細かくカテゴライズして分けることなどもオプションとしての機能にはなってくるのでしょう。

僕の引き出しは、保存(とその質)はともかくとして入れることと出すことが非常に苦手です。

3日間連続で同じ道を間違いますし、自分の親の名前の漢字を覚えられず、さっき手にしたものは次の瞬間には消えている。

どちらかといえば記憶というより不注意の問題な気がしますが、結果として引き出しに入れる作業としての記憶が問題をきたしています。

入れ方がめちゃくちゃなので入れたつもりが全く入ってないのだと思います。

何気なく聞いて覚える、みたいなことができなくて、覚えるぞ!!とかなり強く念じないと引き出しが開いてくれません。

みんなこんなもんなんですかね?親の名前ってどうやって覚えました?


出す時に起こるのは先ほども話した優先順位の混乱です。
それに加えて起こることは、やっとかっと選んだ答えを自分で否定しにかかってしまう誤作動です。
子供の頃親に「自分が正しいと思ったことは間違ってると思え」という教育をされ、それ自体はそこまで悪くない訓示だと思うのですが、僕の中で妙な感じに結実してしまって誤作動をずっと起こしています。自然と自分が違和感を感じる回答に惹かれてしまって、その違和感をそれらしさに感じるようにいつしかなってしまったというか。

これが勉強だけならまだ良いのですが、好きなものでも中々内容を覚えられないのでとても苦労しています。
ずっと好きでやってる部活の毎日当たり前にやってるはずの動作も「思い出そうとした瞬間」にわからなくなります。

自分がドン引きするくらいに。

まぁこれは日記なのであくまで愚痴を書いてるだけで解決策の提示などする気もないのですけど、頭の建て付けが悪いことを少し自分なりに分析してみました。

記憶できない、ということも解体してみれば色々な素因が絡まって起こるのだと思います。

以前すこし話をした「仕事がデキない人の話」
仕事がデキない人たちのこと - 木曜の医師国家詩篇
にも少し通じる話でした。

結局何が言いたいかよくわからない記事になりました。何かもっと書きたいことがあった気もするのですが、忘れてしまいました。

こんな毎日です。