国試と弓道
突然ですが国試前日この動画で少し救われました。
しょうもない贈る言葉シリーズ
— 清澤 (@MuYrsu) 2020年2月6日
素直に「頑張れ!」だとか「自分を信じろ!」と言うのが苦手なんで、伝わりにくい内容だとは思いますが、
要は
僕はいつだって、自分を少しでも支持してくれた方の味方。これからもずっと。毎日が過ぎても僕はそんなあなたの味方です。
良き人生を送ってください! pic.twitter.com/FL89dF9uKI
僕はmedu4民ではなく(データベースには大変お世話になりました)、信者でもないのですが、この動画は見れて本当に良かったです。
この動画を見たときに「あーそっか国試って弓道の昇段審査とおんなじなんだな」と勝手に思いました。
お前如きが弓道や国試を語るなと言われるかもですが、まぁ今日くらい多留生が浮かれてるんだと生暖かい目でスルーしてやってください。
弓道における昇段審査
まぁこんな記事書いてることからわかるように僕は大学時代弓道をやってました。それほど熱心な部員ではなかったですが。
弓道には昇段審査があるということをご存知でしょうか。
段位を取るために必要な試験で、実技と筆記試験があります。(オスキーとCBTみたいな感じですね、重要度は逆ですが)
それぞれの段位の合格基準があって、すごく雑ですが僕なりに省略と翻訳したものが以下になります。
一級
射の形、動きが概ね正しい
初段
射型(射の形)、体配(体の動き)にかなって矢所(矢が飛んでいくところ)が乱れない程度になっている
弐段
射型体配共に整い矢所の乱れぬ程度に達してる
参段
射型が定まって体配が落ち着いて矢飛びが直く、的中(的にあたること)稍々確実なこと
肆段
上記に加えて的中確実なもの
五段
上記に加えて射品(まだ僕には理解できない概念)が現れる
六段
射技が精錬されさらに顕著
七段
練達の域に到達している
八段
技術が熟し、射品高雅、射芸の妙を体得したもの
九段
弓道の真体に透徹したもの
十段
(空白。ガチで何も書いてない。どうやって判断してるんだろう。遥かなる高みすぎて謎)
僕はなんだかんだダラダラやって参段になりました。肆段は落ちました。
昇段審査において引ける矢の数は二本です。だからすごく雑な話ですが、普段どれだけ中る人でも本番の二本を中てられなければ「中てられない」と判断されるわけです(実際はもっと慎重に審査をする先生方が判断されていると思いますがあくまで目安として)。
そして上で出てきた「体配」ですが、この昇段審査においては「弓の持ち方」「立ち方座り方」「視線」「歩き方」「隣の人との空気の読み合い」などなど細かな所作がある一定のルールに基づいて行われています。
最初はそれを覚えるのが死ぬほど大変でした。
僕は昔から運動会のダンスを覚えたりするのが苦手で記憶と身体の動きをリンクさせるのがダメダメでした。先輩方に何度もダメ出しされながら何とか覚えていきました。
表現する
さて、ここからは僕なりの解釈が多分に入り混じり、真面目に弓道をやってる方が読めば噴飯物の解釈かもしれませんがそれでもいいよという人は読んでください。
先ほど書いた体配ですが何度もやってるうちにまぁなんだかんだ覚えていきます。
するとだんだんと体が「そのように動く」ようになってきます(僕のレベルは極めて低いものでしたが)。そして「座る」「立つ」といった身体的な所作が「もっと自信があるように」「もっと堂々と」などメッセージ性を帯びてくるのです。
つまり体配という枠にはまった無個性な体の動きで自己表現をするわけです。
僕が初段を取ったとき、僕は体配を間違えて覚えていました。
実際本番でも間違った動きをしました。そして周りの気配で何となくそれがわかりました。
ですが練習中に先輩に言われた「本番で例え間違っても絶対に顔に出すな、自分が正しいという顔をしていろ」という言葉を思い出し僕は「間違った動きを繰り返し」ました。あたかも「そういう流派です」みたいな顔をして。
まぁ何一つ褒められた話ではないのですがその甲斐があったのかなかったのか僕はその審査に合格しました。
二択を三択までは絞れる
さて国試の本番ですが、緊張します。本当に。正常な判断力はある程度失われます。所謂国試せん妄です。
普段なら迷いなく行えることにも引っかかる。僕みたいな未完成な知識しか持たない人間は尚更です。
そんな中で見直しをするとそこそこ自信を持って選んだ答えにも自信がなくなる。
また、二択問題を三択までしか選べない。どれを除外するか。もしくは選ぶのか、普段以上に迷う。出口のない迷宮でした。
出口はどこにあるのか
そんなときに
最初にあげた清澤先生の動画を、そして弓道の昇段審査のことを思い出したのです。
かなり極論ですが、
国家試験の試験中、その正答を知る人間はこの世に存在しません。
QB解いてるとわかりますが、国試の問題製作者、割とポカミスします。答えのない問題、悪問奇問多くはないですが確実にあります。削除問題もあります。
「まだ」この世に正答は存在しません。
つまり当事者である受験生にとっては目の前の問題と自分自身が全てです。
正答はこの世に存在しない以上書けません。じゃあマークシートに書くのは何か。
それは自分自身の学びの結末です。
自身のそれまでの学習の成果を無機質なマークシートの番号として表現するのです。
正しいか正しくないか、そんなのは横に置いておけ。今は関係ないし意味がない。
そんな風に試験中思えた僕は少しだけ気持ちが楽になりました。
こんなが誰かへのアドバイスになるとも思えませんが備忘録として書き残しておきます。
114回受験生の皆様お疲れ様でした。