【簡潔映画レビュー】竜とそばかすの姫【考察】
映画レビュー記事は久しぶりだ。
いつも通り、独断と偏見に満ち満ちた感想と考察未満の何かを書き殴ろう。
前回
structural-alien.hatenablog.com
観たわけだ。
竜とそばかすの姫、観た
— 木曜第九 (@mokumoku_poem) 2021年7月26日
感想としてはTwitterの男が「U」のシステム利用したら出力されるアバター大体これになるだろうということ pic.twitter.com/dErwzDaroV
雑な感想
事前情報一切なしに見にいったのだが、そこそこ楽しめた。また観たいかと言われれば否であるが。映像や演出は綺麗だった。映画館で見れば大いに迫力がある。逆にいえば映画館で見なければその種の感動も薄れかねない要素もある。多くの映画がそうだという話もあるだろうが、尚更という話だ。
以下ネタばれである。
思ったよりも美女と野獣
美女と野獣的な映画が作りたかったと言う話をどこかで観たが、あまりにも美女と野獣すぎないか。城に住う妖精、ベルのフード、秘密の薔薇。パクリだとか言うつもりはないしオマージュなんだろうが、もしも現代版「美女と野獣」が作りたかったのならそれはディズニーの仕事なんじゃないかと思った。
逆に言えば、ディズニー以外の人間が作った美女と野獣としてはいい出来だったのではないだろうか。変なパチモノくささはなかった。表情や手の動きはかなりディズニーぽかった。
しかしストーリーという意味ではベルが竜に惹かれていく過程があまりはっきりせず、モヤモヤとした。僕の読解力不足といえばそれまでだが。
美女と野獣ではない部分
終盤になるにつれて徐々に美女と野獣ではない部分が明らかになってくる。
これはある意味で「美女と野獣」に観せかけたこと自体がミスリードになっておりある種のトリックとして成立している可能性がある。竜の正体の少年が虐待されていることが明らかになり、鈴は「見も知らぬ子供」を自らの母と同じように助けに行くことを決意するのである。恋愛感情だと(読者に)思われていたものが実は家族愛に近いものであったというミスリードは「フルーツバスケット」でも描かれていたものである。
しかしこれでもなお非ディズニー的というよりは、むしろディズニーのオマージュのに成りかねない。なぜならば、ディズニーでもすでに似たようなことが行われているからだ。それは「アナと雪の女王」である。あれも途中までは王子と姫のラブロマンスに見せかけて最終的には家族の物語であった。やはりこのミスリードすらも脱ディズニーであることも、「ディズニーの仕事」だったのである。そういう意味でこの映画はどこまでもディズニー的だったのではないだろうか。別にそれ自体が悪いわけではない。だがしかし、そこまで寄せた、寄ってしまった意図が分からなくて困惑するのである。
ディズニー云々を抜きにしても、最後に少年が「闘う」ことを誓うシーンがあるのだが、少年はすでに戦っていたし、彼は無力であっても弱くはないはずだ。だからこそ外からの助けが必要だったのであり、その助けとは精神的なもの以上に行政の介入であるはずだ。
非常にモヤモヤした。
不満は多く述べたが
不満は多く述べたが、楽しめた映画であったのは間違いない。「U」の世界の重層的なデザインやアバターたちのデザインの華やかさ、そして魅力的な楽曲はどれも素晴らしかった。
広大なネットを舞台に世界を救う話と2人の兄弟を救う話という意味ではサマーウォーズと対になる作品であったのかもしれない。