理解のある彼女さん
「マナーなんて、勝手な話だよ、誰の許可を得たんだか」
そう言いながら彼女はくちゃくちゃと音を立てながら夕食をほうばる。口の周りもテラテラしている。
「そう思わない?」
ビッ、とフォークの先をこちらに向けてくる。ついでにソースも飛んでくる。
「そうだね」
僕はひとまず肯定して食事を進めることにした。ご飯は穏やかで和やかであるべきだ。
メガネに飛んできたソースをナプキンで拭う。
テーブルを挟んだ向かいの彼女は片膝を立てて椅子に座り、咀嚼音をこれでもかと立てながら、フォークも箸も握り込んでむしろ器用なんじゃないかという食器の使い方で食事を続ける。スープを飲むときもきっちりとズズズッと落語ばりに音を立てる。もしここにマナー講師がいたら白目を向くのだろうか。
少なくとも僕にとっては不快だ。
だがしかし、彼女の言うことにも一理ある。僕が一連の行動を不快に思うのも、マナーに洗脳されているからなのだ。内在化してるとでもいうのだろうか。哲学はよく知らないが。
確かにそういう意味ではマナーは僕の一部であって僕自身を構成する要素ではあるのだが、フォークをきちんと持つことや、クチャクチャしないことが僕にとってそこまで重要なこととは思えない。なのにこんなにも心が揺るがされるのは不思議なことだ。
「でも、案外いけるもんだね。これ」
フォークでツンツンしながら彼女が僕の手料理を寸評する。
「お店開けるんじゃない?」
「冗談言うなよ」
適当な褒め言葉に苦笑する。
「『キングスマン』って映画見た?」
「ん?あぁ、あのギャグよりの007みたいな?」
続編も見たはずだ、確か。
「あの映画にさ、『Manners Maketh Man.』てセリフがあるじゃん」
映画の予告でも使われていた印象的なシーンだ。
「あれ、礼儀が人を作るってスンゲーこと言うなって思ってさ。礼儀が出来なきゃ人じゃないって平家みたいなこと言うよなって」
平家にあらずんば人にあらず。
「確かにね。むしろ映画の後半は下品寄りだった気もするしな。ガラハッド自身も紳士らしさなんかかけらもなく大暴れしてたかも」
「ねー訳わかんなかった」
「んでも確かあれって『礼儀ができれば紳士になれる』みたいな意味かと思ってた」
「んあ?」
彼女がなんじゃそれという顔で眉を潜める。
「映画館で見たときの字幕は忘れたけど、どんな生まれの人間でも礼儀ができれば紳士になれるっていうニュアンスだと思ってた」
「はー、平家とはむしろ真逆な訳だ。生まれ育ちを乗り越えるためのマナーっていう」
「うん、だからマナーも決して馬鹿には出来ないかもしれないよ。それは自分の内面や背景を隠すための武器になるかもしれない」
「なーるほど、だから君はきっちりとしてる訳だ。こんなモノを食べながら」
そういって彼女は僕が見知らぬ女性を拉致して調理した夕食を見た。
「そうだよ、だから大事なんだ。マナーが僕をここに立ち止まらさせる」
「なるほどなるほど、理解した」
そういって彼女は何度もうなずいた。