読書日記1冊目 オカルティズム 非理性のヨーロッパ その2
前回の続きです。
前回 読書日記1冊目 オカルティズム 非理性のヨーロッパ その1 - 木曜の医師国家詩篇
さて、「オカルティズム 非理性のヨーロッパ」(以下、本文)読了。
後味
まず端的な感想としては、最後はかなりあっさりだったり肩透かしとすらいっても良いかもしれない。
中世の魔術に関する記述に比べれば心霊術以降の記述は歴史的な事実の羅列になっていたような気がしなくもないが、本書の目的がオカルティズムの歴史を描くことにあるとすれば妥当なのかもしれない。
取り敢えず前回からの残りの目次を見てみよう。
第四章 ユートピア思想と左派オカルティズム
第五章 エリファス・レヴィ――近代オカルティズムの祖
第六章 聖母マリア出現と右派オカルティズム
第七章 メスマーの「動物磁気」とその影響
第八章 心霊術の時代
第九章 科学の時代のオカルティズム――心霊術と心霊科学
第十章 禍々しくも妖しく――陰謀論を超えて
終章 神なき時代のオカルティズム
特に個人的に関心が向いたのは第四、五章だ。
フランス革命によって神なき世界がもたらされた後、その神の代替としての人類が配されることになるのだが、これらのものを左派オカルティズムと本書では定義している。
第四章 ユートピア思想と左派オカルティズム
一九世紀当時の迷信とはすなわち絶対王政を裏付けする神であり、それを否定することが革命や実証主義、社会主義やらユートピア思想であったのだが、そこに居た「神」を否定することはできてもその「座」を排するには及ばず、その空位にオカルティズムが潜り込むことになったのだ。
世界史を学んだ高校時代、フランス革命でパンテオンだの死者崇拝だのが突然飛び出てきて驚いたのだが、こういうことが起きてきたのか、と納得した。
フィリップ=ミュレーによれば、一九世紀を説明する鍵とは、社会主義(ユートピア)とオカルト、いや、その両者の曖昧かつ、いかがわしい融合なのだ。
本文p90より
第五章 エリファス・レヴィ――近代オカルティズムの祖
そもそもエリファス・レヴィとは何者か。
以下ウィキペディアより引用
エリファス・レヴィ(Eliphas Levi、本名アルフォンス・ルイ・コンスタン (Alphonse Louis Constant)、1810年2月8日 - 1875年5月31日)は、フランス・パリ出身のロマン派詩人、隠秘学思想家。41歳の時に本名をヘブライ語風にした「エリファス・レヴィ」に改名し、隠秘学の著作を残した。
パリの小ロマン派の文芸サロンに出入りしていたが、後にカバラ、錬金術、ヘルメス学、キリスト教神秘主義などの研究を行い、近代ヨーロッパにおける魔術復興の象徴的存在となった。魔術は理性に基づいた合理的科学であると主張し、実際にはその教義体系は精密さを欠くものであったが、古代の密儀、タロット、儀式魔術(英語版)などのさまざまな伝統を「魔術」の名の下に総括しようとした。後のフランス、イギリスのオカルティストに大きな影響を及ぼし、またシャルル・ボードレール、ヴィリエ・ド・リラダン、ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボー、W・B・イエーツ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユなどの作家、詩人たちも影響を受けたとされる。
とのことであり、章のサブタイトルの通り、近代のオカルティズムにおける象徴的かつ、中心的な人物である。その影響は現代のサブカルチャーにおける魔法や魔術にまでつながっている。
彼もまた、フェミニズムやプロレタリア運動と関わりを持っていた。
アルフォンス・コンスタンがフロラ・トリスタンと知り合ったのはちょうどこの頃のことであり、(中略)フロラ・トリスタンは同じ一八三八年に刊行した小説『メフィス』以降、「女性」と「プロレタリア」という近代における-あるいは歴史を通じての-二つのパリア(賎民)を「聖化」することにより、近代社会主義の先駆となった
本文p113より
エリファス・レヴィに関しての話で重要であると感じたのは以下の点である。
まず、ルネサンス魔術から大宇宙と小宇宙との照応・類比の概念をそのまま受け継いだこと。加えて精神的なものと物質との間に照応を認めたこと。
そして、照応によって二重化された世界を魔術的に操作する能力として「想像力」を定義し、媒介としての想像力の根源にあるのは世界を支配・統御する術者の「意思」ないし「言」である。
人間の理知と意思は計り知れない範囲のちからを備えた道具である。その絶大な力がもっぱら魔術の領域に属している一つの能力に助けられて、それを媒介として成り立つものである。私が言わんとしているのは、カバリストたちが「透明体」、あるいは「透けるもの」と呼んでいる想像力のことである。
エリファス・レヴィ『高等魔術』教理篇p53
本文p124より
一応この記事は読書の感想なのであまり色々ということは避けておくが、かなり色々なことへのヒントとなる記述であると考える。また改めて記事にしたい。
まとめ
さて、このあとの本文は心霊術やフリーメイソンへの陰謀論やナチスに代表されるユダヤ差別へとつながる右派オカルティズムの話が展開される。
やや恣意的ではないか?という著者の解釈もあったが、オカルティズムが持つ「毒性」が十分にわかった。
一九世紀オカルティズムの行き着いた果てに出現する「全体主義的」「差別主義的」「抑圧的」社会、「陰謀論」渦巻く不吉な予言を目にした後で、改めてこう問うことは可能かもしれない。
「オカルティズム」とは、結局、単に非科学的で、政治的に反動的な意味しか持ち得ないのであろうか。神なき現代において、それでもなお自分が万能だと信じさせてくれる何か、万人に予想される「死」への代替装置にすぎないのだろうか、と。
本文p279.280
筆者が読む限り著者が自らのこの問いに明確な答えを与えては居ない。もしかしたら読み取れていないだけなのかもしれないが。
やや批判的な物言いをすれば、最後には無理やりサブカルチャーとオカルティズムを結ぶことでお茶を濁した感じもあったように思う。
瑣末なことではあるのだが、今のこのサブカルチャーで、ゴスロリ女子をその代表のように扱うのはややズレているようにも感じた。
とはいえ、この本はとても興味深く、中々大きな縦糸でもって読み解くことができない「オカルティズム」という思想を歴史的に読むことができる極めて貴重な本である。
読むことができてよかった本である。