木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

本屋が好きだという話

今日ぼくは大きめの本屋さんに行った。

普段は山奥に篭っているぼくだが、今日は大学院で勉学を頑張る妹の参考図書を買う為に使いパシリとして本屋に赴いたのである。

妹の本は予め決まっていたこともあり、トイフルだかエイブルだかのテストの参考書なので在庫も十分でそつなく買うことができた。

お使いができる、えらい。医学部に入っただけある。

さて、メインミッションを終えたぼくは一冊だけ自分の本を買おうと決意した。

ちょうど昨日「オカルティズム 非理性のヨーロッパ」を読み終えたところであり、やや内容に物足りなさを感じていたこともあって次の獲物を気合を入れて探し始めたわけである。


ツイッターのタイムラインで名前を見かけて気になったシオランウェルベック、ジャック=デリダ、そのあたりから探してみるか。

そんなことを思いつつ実存主義の棚でシオランの本を探してみるが在庫としてあったのは一冊だけ。しかも四千円近くする。これでは買えない。予算は精々二千円だ。

シオランをチラ読みしつつ諦めウェルベックはどうかと本棚を覗いてみると、ウェルベックって作家なのか!いや、無知ゆえに知らなかっただけなのだが、どうにも今日は小説の気分ではない。そういう日がある。

頼みの綱でジャック=デリダの本を探してみるとやはり大量にある。

入門書の雰囲気をまとった本を探して読んでみるとなるほど割と悪くない感じだが、やや決め手に欠ける。内容というよりは本のレイアウトが気にくわない。ぼくにとってなんだか非常に読みにくい文章の配置がなされていたのだ。妙に上に寄ってるような感じとでも言えば良いのか。Amazonのレビューを見てみるとあまり芳しくない。うーむ。

ここでふと時計を見ると本屋に入店してから既に3時間が経過していた。
バカな。
今更説明するまでもないがぼくは留年生で受験生でそんなに時間があるわけではない。いや、別にそんな寸暇を惜しんで勉強しているかと言われればそんなことはないのだが、こうして机の前にすら座らず、まったく医学と関係ない場所で無為に時間を過ごすのは罪悪感で居心地が悪い。

血迷ったぼくは医学関係の本棚へと移動した。

れ、レジデントマニュアルでも買うか??

そんなことさえ罪悪感から逃れたい一心で思ってしまった程だ。
しかし、ここでぼくは冷静になった。ただでさえ遅れがちな勉強の進捗をこれ以上副読本を増やして遅らせてどうする気だ。
こうしてぼくは新しい医学参考図書を買うことを回避した。

さて、ここまでくると焦りから文字を見るだけで酔って吐き気がしてくる。
昔ハマってた仏教哲学にも引かれるし、ローマ史なんかもいいかもしれない。
それまでの読書体験が満ち潮のように溢れてきて余計に明快な判断を低下させる。

こうなったらもういっそのこと文字がない画集なんかもありじゃないかと画集のコーナーへ行く。

この人ツイッターでフォローしてる人やんけ!なんて人たちの画集が並んでおり、あれもこれもどれもそれも欲しくなる。
しかし、かなしいかな、画集の「読み方」がぼくにはまだわからない。
当たり前だが「読む」だけなら一瞬なのである。
美術館に足を運び体験として絵画を見ることにはある程度慣れているのだが、自室で本に印刷された絵を楽しむ方法がイマイチわからない。

そんなことを思い始めると画集も買えなくなった。

焦りはここでついに頂点に達する。

もういっそ何も買わずに帰るか?

だがしかし、それは敗北である。酒池肉林、垂涎の美食美女を前にたじろぎ帰宅する童貞のようなものである。
家に帰ってから枕を濡らすのが見えている。

そしてぼくは考えを変えた。

本じゃなくて雑誌を探そう。

そうしてぼくは哲学系の評論を集めてるっぽい雑誌のコーナーに行き着いたのである。


そこで不定カルチャー誌 アレ を見つけて購入に至ったのである。

まだ途中であるがとても面白い。

いろんな人間が1つの主題について語るので気分的には回転寿司屋の気分である。

文字に酔いかけていたぼくにはちょうど良い。

こういう出会いがあるからぼくは本屋が好きなのである。