木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

もく読日記8冊目  安楽死を遂げるまで

          グッドモーニング

あなたの死の決意は誰からも強制されたものではない。それは確かですね

先生?

      あなた、もしかして怖いの?

私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮官なのだ

    ダメだって言うべきじゃなかった

しかし、この国では、死は個人の自由という考えがまかり通ってしまった。

治療を諦めた段階で末期になる

    トルトゥラ

だいたい、世間は無責任すぎる!
       冷静だったらやっていない
グッドバイ

さて二冊連続での記事となる。
前回はこちら
structural-alien.hatenablog.com


今回はかなり経路の違った本である。職場の上司の勧めで読んだものだ。

内容

以下はAmazonからの引用

安楽死、それはスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクアメリカの一部の州、カナダで認められる医療行為である。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が高まりつつある。しかし、実態が伝えられることは少ない。

安らかに死ぬ――。本当に字義通りの逝き方なのか。患者たちはどのような痛みや苦しみを抱え、自ら死を選ぶのか。遺された家族はどう思うか。

79歳の認知症男性や難病を背負う12歳少女、49歳の躁鬱病男性。彼らが死に至った「過程」を辿りつつ、スイスの自殺幇助団体に登録する日本人や、「安楽死事件」で罪に問われた日本人医師を訪ねた。当初、安楽死に懐疑的だった筆者は、どのような「理想の死」を見つけ出すか。第40回講談社ノンフィクション賞を受賞した渾身ルポルタージュ

感想

ここであえて僕自身の安楽死に関する是非を述べることはしない。それは軽々しく結論すべきことでもないし、それがもたらすリスクが決して小さいことではないと言う、モラルと小市民的な自衛としてそう判断する。


しかし一つ考えさせられたのは、果たして安楽死は医療のフィールドの問題なのだろうかと言うことだ。
初めての安楽死の処置を行った若い医師が泣いてしまいその処置を躊躇ってしまった話が印象的であった。


様々な国様々な人々の間で揺れ動く安楽死の定義とそのあり方。
読む価値はある。