いわゆるコミュ症の博物学
コミュ症という言葉をよく見る。コミュ障とも。漫画のタイトルになることもあるくらいメジャーな言葉になっている。
古見さんは、コミュ症です。 (1) (少年サンデーコミックス)
- 作者: オダトモヒト
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/09/16
- メディア: コミック
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さりげなく無造作に使われがちな言葉だが、以前ツイッターで使ったところ、「本当のコミュニケーション障害は聾唖の人などのことだ」ということを言われたことがあって、なるほど、となった。物理的にコミュニーケーション疎通に問題が生じる場合もあるわけだ。だが、しかし僕もコミュ症を自称する人間であり、この辛さにせっかく与えられた名前を手放したくはない。
そこで、所謂コミュ症/コミュ障と呼ばれるものにどんなパターンが考えられるか、もしくは実際に伝われているかを分類してみたいと思う。
どれが「本当の」コミュ症なのかについては言及しない。
また、背景として仮にある疾患があったとしても、その原因によらず表現形としてのコミュ症のみを考えるものである。
そもそもコミュニケーションとは?
さて、ここまで無造作にコミュニケーションという言葉を使ってきたが、コミュニケーションとはそもそも「何なのか」。
以下、https://www.kagawa-edu.jp/takayo01/kyouikusoudan/h26/siendayori5.pdfより引用
コミュニケーションの語源であるラテン語の 【COMMUNIS:コミュニス】や【COMMUNICARE:コミュニカーレ】 の意味が『共有する・共通の場に身を置く』である
コミュニケーションとは「共有である」、と考えられる。コミュニケーションがうまくいかない時、情報を一方的に押し付ける、もしくは共有する気がない、という事態が起こってるとも解釈できるわけだ。
コミュニケーションの「目標」として、知識の共有が考えられることの方が多いと思われるが実際はコミュニケーションそのものが「共有」であると考えらるのではないか?そう考えるならば、そこで共有されているものは何か。情報ではない。「場」であると僕は考える。つまりコミュニケーションがうまくいかないコミュ症の状態とは「場」の不全、「場」の歪みがもたらすものだと考えられるのではないか。この視点で持ってカテゴライズしていく。
コミュニケーション障害
取り敢えずまず、「コミュニケーション障害」に関するおそらくオフィシャルな定義を提示しておく。
以下ウィキペディアより、引用
コミュニケーション障害(コミュニケーションしょうがい)=コミュニティ障害は対人関係を必要とされる場面で、他人と十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害のこと。コミュ障(コミュしょう)とも称されるが、これは実際の障害とは関係なく単にコミュニケーションが苦手な人を指すネットスラングとして使われることが多い。
オフィシャルなものの意味としては上記のものとなる。だがしかし、ネットスラングとしてのコミュ障/コミュ症も、「確実に存在している」と僕は考える。つまり以下はそれに対する言及である。
大きく分けて2種類
話せるコミュ症
と
話せないコミュ症
があると考える。し、よく言われている。
まず、話せるタイプのコミュ症を分類していく。
話せるタイプのコミュ症
他者との会話を始めることはできる、普通に話せる、寧ろ「話せすぎる」タイプである。
- 相手の話を聞いていない
自分の言いたいことだけをまくし立てる感じ。会話が成立しない、とも評されるかもしれない。「場」を持つ気がないのだ、情報の一方的な「連絡」でしかない。町内会の掲示板と同じだ。
- 相手の話を否定する
会話の一言目が「でも」などで始まるタイプ。成立しかけた「場」から相手を追い出そうとしていると考えられる。
- マウントを取る
相手の発話に「いやでも、それは〇〇なんですよ?」などという乗っかかりかたをするタイプ。上記のタイプの亜種。「場」であるはずのコミュニケーションに上下関係を持ち込もうとしているわけで、ここで行われるのは共有ではなく「奪取」である。
話せないタイプのコミュ症
言葉が出てこない。
- はじめの一言が出ない
これはまぁ、僕自身がこのタイプであるから多少言及するのであるが、コミュニケーションそのものへの自信のなさから失敗を恐れるあまりこうなっている例も多いと思う。 背景としては対人関係への恐怖なども考えられ、原因には様々なものがあると考えられる。また、これは以前聞いた話であるが、難聴の人が、他人と同じ声の大きさと話すことができスマホ、会話が成立するレベルの難聴でありながら会話に気まずさを感じてしまいこのタイプのコミュ症になることもあるようだ。 「場」の不成立である。
- 物理的に会話ができない
最初に上げた、コミュニケーション障害が含まれるカテゴリであろう。これもまた「場」の不成立である。だがしかし、道具の使用などによって「場」が、成立することは想像に難くない。
- そもそも他者への関心がない
コミュニケーションの必要性を感じないタイプとも言える。これはコミュニケーション以前の段階に問題があるのかもしれないが、外部からみればこれもまたコミュ症に分類すべきであると僕は考える。「場」への不参加である。
- 環境起因的なもの
パワハラなどの強い精神的ストレス下において萎縮することで発言が著しく妨げられてしまう状況のことである。これは個人に起因するものではなく、コミュ症と呼ぶことに違和感があるかもしれないが、誰でもコミュ症になり得る状況という意味でとても考えるに値する実例であると僕は考える。こういった状況すらも「コミュ症」であると考えることで始めてコミュニケーションが「場」の共有であることが体感され、1人の問題でなく、2人もしくはそれ以上の「共有」の問題であることが浮き彫りになると考える。
コミュ症な人間が居るのではない、コミュ症になる人間がいるのだ。
まとめ
以上、ざっくりとしたカテゴライズであったが、失敗例から学べることもあるはずで、どうすればコミュニケーションが上手くいくか、「場」を成立させることができるか。そんなことを考える1つの材料になるかもしれない。
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