木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

目バキバキおじさんの話

日記。

Twitterで「目バキバキおじさん」の話が流れてきた。話というか体験漫画と言うか。
まぁそのおじさんがどう言う背景の人かは置いておくとして、俺自身は目がショボショボしすぎてるんじゃないかと思った。

夜の散歩中に目をバキバキにしてみるとこんなにも空は高いのかと気が付いた。

普通に歩いてる視界で空って目に入ってくるものなんだな。

思えば眼鏡をかけるようになってからと言うものずっと目がショボショボしてる気がする。視力の左右差がありすぎるせいかいつも若干眼鏡の度があっておらず目を細める癖がいつしかついてしまっていたのだ。

明日からはもっと目をバキバキにして生きていこう。
ただでさえ視野狭窄なにんげんなのだから。

深夜の愚痴

久しぶりのこのコーナー、というかブログも久しぶりか、というこのくだり含めて何回やったんだという。

 

最近というか常に思ってるんだけど、日記が書けるようになりたい。

いや書くだけならできるんだけど、続かないのだ。

あの手この手で工夫するが続かない。ツイッターはほぼ毎日何か書き込んでいるというのに。

何が違うのだろう。

そもそも日記をなぜ書きたいのかというと、「連続性が欲しいから」だ。あまり過去を振り返る癖がないもので、何とかしてその習慣をつけたい。

とはいえもっと根本的なところにあるのは日記に対するあこがれな気がする。

だから続かないのだ。

カッコつけようとするから。しょうもないなぁもう。

日記なんて構えたものじゃなくて、やったことリストでも作ればいいのかな。

それはそれで意義がありそうだ。

ブログを日記にすることも考えたが、さすがに個人的な体験を逐一ネットに挙げる気にもならない。まぁツイッターでさんざんやってるんだが。なんか違うのだ。

つーかこの深夜の愚痴シリーズが一番日記っぽいな。日記、書けるんじゃん俺。毎日とはいかないが。やったね。ひさしぶりにすっきりしたので気持ちよく寝る。

【簡潔映画レビュー】竜とそばかすの姫【考察】

 

映画レビュー記事は久しぶりだ。

 

いつも通り、独断と偏見に満ち満ちた感想と考察未満の何かを書き殴ろう。

前回

structural-alien.hatenablog.com

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観たわけだ。



 

雑な感想

事前情報一切なしに見にいったのだが、そこそこ楽しめた。また観たいかと言われれば否であるが。映像や演出は綺麗だった。映画館で見れば大いに迫力がある。逆にいえば映画館で見なければその種の感動も薄れかねない要素もある。多くの映画がそうだという話もあるだろうが、尚更という話だ。

以下ネタばれである。

 

 

思ったよりも美女と野獣

美女と野獣的な映画が作りたかったと言う話をどこかで観たが、あまりにも美女と野獣すぎないか。城に住う妖精、ベルのフード、秘密の薔薇。パクリだとか言うつもりはないしオマージュなんだろうが、もしも現代版「美女と野獣」が作りたかったのならそれはディズニーの仕事なんじゃないかと思った。

逆に言えば、ディズニー以外の人間が作った美女と野獣としてはいい出来だったのではないだろうか。変なパチモノくささはなかった。表情や手の動きはかなりディズニーぽかった。

しかしストーリーという意味ではベルが竜に惹かれていく過程があまりはっきりせず、モヤモヤとした。僕の読解力不足といえばそれまでだが。

 

美女と野獣ではない部分

終盤になるにつれて徐々に美女と野獣ではない部分が明らかになってくる。

これはある意味で「美女と野獣」に観せかけたこと自体がミスリードになっておりある種のトリックとして成立している可能性がある。竜の正体の少年が虐待されていることが明らかになり、鈴は「見も知らぬ子供」を自らの母と同じように助けに行くことを決意するのである。恋愛感情だと(読者に)思われていたものが実は家族愛に近いものであったというミスリードは「フルーツバスケット」でも描かれていたものである。

 

 

しかしこれでもなお非ディズニー的というよりは、むしろディズニーのオマージュのに成りかねない。なぜならば、ディズニーでもすでに似たようなことが行われているからだ。それは「アナと雪の女王」である。あれも途中までは王子と姫のラブロマンスに見せかけて最終的には家族の物語であった。やはりこのミスリードすらも脱ディズニーであることも、「ディズニーの仕事」だったのである。そういう意味でこの映画はどこまでもディズニー的だったのではないだろうか。別にそれ自体が悪いわけではない。だがしかし、そこまで寄せた、寄ってしまった意図が分からなくて困惑するのである。

ディズニー云々を抜きにしても、最後に少年が「闘う」ことを誓うシーンがあるのだが、少年はすでに戦っていたし、彼は無力であっても弱くはないはずだ。だからこそ外からの助けが必要だったのであり、その助けとは精神的なもの以上に行政の介入であるはずだ。

非常にモヤモヤした。

 

不満は多く述べたが

不満は多く述べたが、楽しめた映画であったのは間違いない。「U」の世界の重層的なデザインやアバターたちのデザインの華やかさ、そして魅力的な楽曲はどれも素晴らしかった。

広大なネットを舞台に世界を救う話と2人の兄弟を救う話という意味ではサマーウォーズと対になる作品であったのかもしれない。

 

 

理解のある彼女さん

「マナーなんて、勝手な話だよ、誰の許可を得たんだか」

そう言いながら彼女はくちゃくちゃと音を立てながら夕食をほうばる。口の周りもテラテラしている。

「そう思わない?」

ビッ、とフォークの先をこちらに向けてくる。ついでにソースも飛んでくる。

「そうだね」

僕はひとまず肯定して食事を進めることにした。ご飯は穏やかで和やかであるべきだ。

メガネに飛んできたソースをナプキンで拭う。

テーブルを挟んだ向かいの彼女は片膝を立てて椅子に座り、咀嚼音をこれでもかと立てながら、フォークも箸も握り込んでむしろ器用なんじゃないかという食器の使い方で食事を続ける。スープを飲むときもきっちりとズズズッと落語ばりに音を立てる。もしここにマナー講師がいたら白目を向くのだろうか。

少なくとも僕にとっては不快だ。

だがしかし、彼女の言うことにも一理ある。僕が一連の行動を不快に思うのも、マナーに洗脳されているからなのだ。内在化してるとでもいうのだろうか。哲学はよく知らないが。

確かにそういう意味ではマナーは僕の一部であって僕自身を構成する要素ではあるのだが、フォークをきちんと持つことや、クチャクチャしないことが僕にとってそこまで重要なこととは思えない。なのにこんなにも心が揺るがされるのは不思議なことだ。

「でも、案外いけるもんだね。これ」

フォークでツンツンしながら彼女が僕の手料理を寸評する。

「お店開けるんじゃない?」

「冗談言うなよ」

適当な褒め言葉に苦笑する。

「『キングスマン』って映画見た?」

「ん?あぁ、あのギャグよりの007みたいな?」

続編も見たはずだ、確か。

「あの映画にさ、『Manners Maketh Man.』てセリフがあるじゃん」

映画の予告でも使われていた印象的なシーンだ。

「あれ、礼儀が人を作るってスンゲーこと言うなって思ってさ。礼儀が出来なきゃ人じゃないって平家みたいなこと言うよなって」

平家にあらずんば人にあらず。

「確かにね。むしろ映画の後半は下品寄りだった気もするしな。ガラハッド自身も紳士らしさなんかかけらもなく大暴れしてたかも」

「ねー訳わかんなかった」

「んでも確かあれって『礼儀ができれば紳士になれる』みたいな意味かと思ってた」

「んあ?」

彼女がなんじゃそれという顔で眉を潜める。

「映画館で見たときの字幕は忘れたけど、どんな生まれの人間でも礼儀ができれば紳士になれるっていうニュアンスだと思ってた」

「はー、平家とはむしろ真逆な訳だ。生まれ育ちを乗り越えるためのマナーっていう」

「うん、だからマナーも決して馬鹿には出来ないかもしれないよ。それは自分の内面や背景を隠すための武器になるかもしれない」

「なーるほど、だから君はきっちりとしてる訳だ。こんなモノを食べながら」

そういって彼女は僕が見知らぬ女性を拉致して調理した夕食を見た。

「そうだよ、だから大事なんだ。マナーが僕をここに立ち止まらさせる」

「なるほどなるほど、理解した」

そういって彼女は何度もうなずいた。

もく読日記8冊目  安楽死を遂げるまで

          グッドモーニング

あなたの死の決意は誰からも強制されたものではない。それは確かですね

先生?

      あなた、もしかして怖いの?

私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮官なのだ

    ダメだって言うべきじゃなかった

しかし、この国では、死は個人の自由という考えがまかり通ってしまった。

治療を諦めた段階で末期になる

    トルトゥラ

だいたい、世間は無責任すぎる!
       冷静だったらやっていない
グッドバイ

さて二冊連続での記事となる。
前回はこちら
structural-alien.hatenablog.com


今回はかなり経路の違った本である。職場の上司の勧めで読んだものだ。

内容

以下はAmazonからの引用

安楽死、それはスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクアメリカの一部の州、カナダで認められる医療行為である。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が高まりつつある。しかし、実態が伝えられることは少ない。

安らかに死ぬ――。本当に字義通りの逝き方なのか。患者たちはどのような痛みや苦しみを抱え、自ら死を選ぶのか。遺された家族はどう思うか。

79歳の認知症男性や難病を背負う12歳少女、49歳の躁鬱病男性。彼らが死に至った「過程」を辿りつつ、スイスの自殺幇助団体に登録する日本人や、「安楽死事件」で罪に問われた日本人医師を訪ねた。当初、安楽死に懐疑的だった筆者は、どのような「理想の死」を見つけ出すか。第40回講談社ノンフィクション賞を受賞した渾身ルポルタージュ

感想

ここであえて僕自身の安楽死に関する是非を述べることはしない。それは軽々しく結論すべきことでもないし、それがもたらすリスクが決して小さいことではないと言う、モラルと小市民的な自衛としてそう判断する。


しかし一つ考えさせられたのは、果たして安楽死は医療のフィールドの問題なのだろうかと言うことだ。
初めての安楽死の処置を行った若い医師が泣いてしまいその処置を躊躇ってしまった話が印象的であった。


様々な国様々な人々の間で揺れ動く安楽死の定義とそのあり方。
読む価値はある。

もく読日記 7冊目  まちあわせ

    駆除って言葉知らねぇのか!!
じゃあ危ない時にはいつでも助けてくれる?
           諦めては駄目です
 戦うよりも逃げた方がいいんです

異人類の虐待は社会問題になってるんですから!

ウアカリはね世界一進化した人類って言われてるのよ

   構うな下等なサル

          穏やかで…幸福な…

来る来ない来る


病院どこ?   九州…片道3万円


      俺待ってるよ


大事な決断ってのは
 元気な時にしなきゃ間違っちまうぜ

         今すごく幸せなんだ

これが住人達の総意なんです
            ここは僕の巣だ


読んだ書物の雑な感想や考察を綴るこのコーナー。
今回は多分初めてになる漫画の紹介。

前回はこちら
structural-alien.hatenablog.com


最近はシリーズものを追う体力がなくて、短い漫画シリーズとかが好きですね。

そんな中で見つけたのがこちら。

田中雄一 まちあわせ

あらすじ

以下Amazonの説明文から引用

虫、類人猿、巨獣…異生物と人間が織り成す、生存のドラマ! 雑誌発表時に大反響を呼んだインパクト抜群の傑作SF短編群、ついに単行本化!! 新種の昆虫の人間界への侵略『害虫駆除局』、人間と同じように進化してきた類人猿との共存『プリマーテス』、怪獣が闊歩する超未来『箱庭の巨獣』…。そして表題作『まちあわせ』は、予想不可能な壮大なイメージと感動へと導く究極のラブストーリー! 期待の新人作家、初の作品集。

大雑把な感想

うお〜SF漫画読んだぜ〜!となる。メカニカルな意味でのSF要素はほぼない。設定と物語の力での勝負。我々の生きる現代よりちょっと先か、いくつかのことが異なっている世界が舞台。
大きなテーマとしては異種族との共存/競争。そして継承の物語なのだろう。
短編ごとに異なる異種族との距離感、継承の仕方。それぞれにグロテスクで暖かく切ない。
グロテスクなクリーチャーとか人類の滅びとかそう言うのが好きな人にはぜひ読んでほしい作品。
以下はそれぞれに関する感想と考察に満たない何かを書いていこうと思う。

以下ネタバレあり。

害虫駆除局

主人公小野崎が呑気すぎる。いやまぁ最終的にはあんなことになるんですけども。
この物語における異種属、十二脚虫との関係性は「競争」だ。そして人類は圧倒的な劣勢。
当初の小野崎はそのことに無頓着でなんなら「保護しなきゃ」くらいのある意味で驕った視点で考えている。
物語の緊迫感も主人公の心情変化に合わせて徐々に逼迫したものになってゆく。それは小野崎の変化であると同時に人類が追い込まれてゆくその変化をも我々読者が追体験させられているのだ。仕事がうまくいかないというどこか牧歌的でありつつも本人的には切実な悩みがありつつも、それらを虫たちが飲み込み失われてゆく日常と余裕。
そしてこの物語の「継承」は長沼から小野崎への十二脚虫への殺意である。
しかしこの物語において長沼は最終的に殺意を放棄する。
小野崎が虫たちの脅威に接し直面化した「人類社会を脅かす虫という現実」。しかし長沼はさらに進んで「虫たちに滅ぼされつつある世界という現実」に対峙しているのだ。小野崎には未だ現実が見えていない。まだ絶望し切れていないのだ。しかしどこかで理解はしている。きっと小野崎もいつかそれを理解し受け入れることになるのだろう。

プリマーテス

異能力バトルがあるのでこの話大好きです。男の子なので。
人類と異人類。人間と少し異なった進化を遂げた「サル」たちがいる世界。猿の見た目はおそらく意図的に「分かり合え無さそう」にデザインされている。
ウアカリは、おばさんの解説によれば赤ちゃん工場で子供が生まれているのに、子供への深い愛情表現が描かれるのが細やかで大好きです。
人類が傲り高ぶり霊長の王であると思っているが実は異人類の中ではさらに恐ろしい奴らがいる、というのは害虫駆除局の小野崎の驕りの描写に通じるものを感じる。
息子と信じて育てた男児が「托卵」されていたことで投げやりになった浅川が主人公。
この物語の異種属はいうまでもなく異人類。しかしおそらく浅川の「息子」である陽介もまたある種の異種属として描かれているのだろう。
血のつながりがないと分かった途端に冷たく接する浅川は「サイテー」な人間として描かれる。浅川の気持ちに共感はしないものの理解はできるものだ。裏切られたと思っただろうし、なんだったんだという憤りもあったのだろう。
この物語における「継承」はウアカリの最後の思い出が浅川を通じその親へと渡されたことでもあり、浅川の父親への思いと、浅川と陽介の親子としての絆が再構築され、親子三代にわたる愛情が伝わって行ったことでもあったのだと思う。

まちあわせ

いやーいい話だった。
庄太郎いいやつすぎだろ。理解のある彼君最終レベルじゃん。
言うまでも無く異種属は由香里で継承されたものは由香理の母親から渡され、それを受け取った由香理と庄太郎の愛情だ。
母の愛が強すぎる。この話についてもう何を言っても野暮だから2人の愛の深さを称えておくのみにしよう。
たこ焼き屋の親父の「大事な決断ってのは元気な時にしなきゃ間違っちまうぜ」ってセリフが良いよね。

箱庭の巨獣

大怪獣バトルがあるのでこの話大好きです。男の子なので。
この物語の異種属は巨獣でこの物語は共存の物語だ。しかし同時に競争の物語でもある。継承されるのは「巣」であり「巣への想い」だ。
切ねぇな。康美は嫌々ながらも腹括って巨獣になったのに、そのわずか21年後には全部ひっくり返して狒々を受け入れるだなんて。
結局武和が「正しかった」のだ。
あまりに勝手だしやり切れない。しかも自分の息子の嫁に殺されるとは。
弱いながらも必死で巣を守るために戦った康美の体はボロボロで片目も失われている。ずっと負けていたのだろう。でも自分以外に守れる人間もいないから、康美は戦うしかなかった。そんな境遇なのに康美はうっすらと微笑むのだ。先代の麒麟が康美に笑いかけたように。
集団に振り回される若者。それはもしかしたら国家に振り回され兵士となる若者の寓話であったのかもしれない。

だんごむし

夏になると思い出す。
親の手伝いで草むしりをよくした。裏庭で趣味の家庭菜園を親はよくしていたのだが、そこは熊笹に侵略されており、定期的に毟らないと土が固まってしまうのだ。熊笹は厄介で、網のように張り巡らされた地下茎のせいで土ごと掘り返さないと除去することができない。
腰も痛くなるし、軍手から染み込んだ泥が爪の間に溜まってくる。
家の近くには淀んだため池があって、そこから蚊が無限に湧いて出てくる。
蚊取り線香を貰いはするのだが正直そんなに効果はなかった。
土を掘り返し、石をひっくり返す度にダンゴムシがうぞうぞと出てくる。
草むしりに嫌気がさした僕はダンゴムシを捕まえて蚊取り線香の上に乗せる。
突然の移動に困惑した彼らは蚊取り線香の上を歩き始める。渦巻きの中心に向かうものはそのまま支えを伝って、下の受け皿に降りてやがては土の中に帰ってゆく。
しかし、時折渦巻きの外側に向かって行くものがある。彼らは困惑しながらもどんどんと渦の外側に向かってゆき、やがてもうもうと煙をあげる発火点へと辿り着く。火種に触れた彼らの体は急速に白くなりクシャクシャと縮んでゆく。
その様を眺めることがよくあった。
彼らが歩んだグルグルとした緑の道のことを時々思い出す。